すくう #エッセイ
堅苦しいことは書けない。一人で考えている時空がバグる。三つの、すくう。
巣食う
私の心の中には自己否定という闇が巣食う。
世界が嫌になる魔法。歪んだレンズ。
否定バイアスは結構な頻度でアップデートされ、スーパーに買い出しに行くことさえできなくなる。コンビニまでしか行けない。人を極度に恐れる、恐怖。
何なんでしょうね、これは。と思うと、まあだいたい人との距離感とかの苦い思い出が降りてきて、はっきりとはよく分からない臓物のようなものを握っているということなのかもしれない。だいたい自傷がエスカレートしている。
自分を傷つけちゃだめでしょ!って小さい子でもきっと知ってる。私はなんかもうこれが貼り付いてしまっているのだ。
見るからにやばい女郎蜘蛛の巣が心に張り巡らされていて、私はもう内側から食い尽くされて既に空洞で蜘蛛の巣が肉体を構成しているかに見えるだけで、蜘蛛の巣と化しているのかもしれない。私ではない誰かがいつのまにか私をオートメーションしている。そして私は、その私が嫌いだ。
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掬う
涙を手の甲で掬う。静脈に沿って流れて消える。バカみたいなことで泣いている自覚はある。たぶん10年後に私のことを好きでいてくれている方のおばあちゃんはいないかもしれない、とか。10年後は両親ともボケてしまって、本当に孤独かもしれないとか。ひとりぼっちかもしれない。本格的な孤独。人を信じられない私は頭の中で宇宙人と交信して何とかやり過ごしているのかもしれない。今もほとほと電波っぽい。身体の痛みに気持ちが随分左右されて、諦めみたいな変な笑顔が癖になっている。本当にそれでいいの?と小さい私の中の私が言う。
泣くのは悲しいから。何か違うから。何か違っているんだよ、そんな問いが繰り返されて、きっと、あっという間に年を取る。あっという間に年を取ってきたねと思う。思ってたのと違ったけど。小さい頃、住んでた団地の近くの大きな公園に金魚すくいがやってきて、小さいエアープールに黒いのとか出目金とかふつうのとか、鯉みたいなマーブルのとかの金魚がたくさん泳いでいる。どれを捕ろうかなんて、目移りしながらポイを通すと、水に濡れたところに金魚が当たったか当たらないか分からないうちにすぐに破れてしまう。他の子は上手く掬っていたりするのに。もう一回やっても同じで、金魚は獲れなかったのに、金魚の入った袋を手に下げている。
でも、たぶん人生は獲れなかったら獲れないままで、金魚が獲れなくて泣いてる子どもじゃないでしょって、白い目で見られて、目を背けられて、人は通過していく。目にも止まらないかもしれない。結局、ビニール袋に金魚を入れてくれるおじさんはいないから。ポイで金魚を掬うみたいに、欲しいものを手に入れるしかないのだろう。自分で、最初は失敗だらけだとしても、ポイは何年かに一回しか手に入れられないとしても、やっぱり失敗したり、上手な人に教えてもらったりそうやって、欲しいものを自分で掬っていくしかないのかもしれない。
欲しいものが何かさえ、もうよく分からなくなっちゃったのかもしれない。誤魔化してきたせいだね。10年後は自分の涙ではなくて、何を掬えているのだろう。涙が出ないくらい悲しいというのは嫌だけど、泣かないで生きているといい。何か、実体を持った何かを、見つめているとときめくような何かを掬って、それをきっとご機嫌に目を細めながら眺めていたい。
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救う
だれかを助けたら巡り巡って自分のところにも誰かが困った時に助けを出してくれるらしい、という、情けは人の為ならず、のお話しは嘘だったような、本当だったような、もはやよく覚えていない。最近人に優しくできない。余裕がない。
変なミスを繰り返していたりする。同じミスは繰り返えさないけど、上手く行かない星回りなのかもしれない。
人に優しくできないけど、めちゃ車やバイクに割り込まれたりする。必然的に譲ることになる。人が車の前を横断して来たりもする。それが蝶だったり、トンボだったり、スズメだったりする。
赤信号率高くないか、なんでみんな私の前に入ってくるのよ!と思うけど、そんなこと言ったって知らない。星回り、たぶん。
私が今たくさん止まったところで、いつか私がスムーズに何か事を行えるとかそういう虫のいい話はないと思う。今までが、そんなに意識してないくらいにラッキーだったのかもしれない。失って気づくみたいな。
今の私はしかめっつらをしている。そう見えていると思う。仕事があることは恵まれているはずなのに、私はどうしてずっと納得できていない。そのくせどんどん自信が失せていき、転職しようにも自信がない。言い訳だよなあとは思う。仕事も失ってから気付く系かもしれない。でもそうじゃないかもしれないし、未来は不確定だからよく分からない。
自分を救うのは自分ということわざがある。God helps those who help themselves.ね。
天は自らを助けるものを助く。神様はいるけど、自分を助けないと神力は発動しないようだ。よってこの度のだめだめは足しには転じないから期待できない。
自分を助ける。さっきの恵まれていたと実感したやつは、過去の自分を束の間でも肯定できる回顧だったのではないか。そこからはじめると、感謝から始まる。恵まれている、ありがとう、と。ありがとうって唱えているとなんか気分良くなる言葉なので、これ、六方拝やったら良いかもしれない。一時期試してた。これ、再開しよう。恵まれているって落とし込んだ方が自己否定が薄まる可能性があるような気がしてきた。自分を救うために恵まれた存在として自分を定義し、その上で何かしていく方が、否定にもしかしたら戻りにくいかもしれないよね。
物事は全てメビウスの輪みたいな繋がり方になってる気がしないでもない。