私にとってのいなフリを、私の温度感で。
この文章はワークキャリアが開催する「#いなフリアフター」企画への参加記事です。
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あなたにとってのターニングポイントは何ですか?
いまもこれからも、きっと私はこう答えるんだろう。
私にとってのターニングポイントはいなフリに参加したことです、と。
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いなフリアフターという企画を知ってからというものの、いい機会だし振り返ってみようかなとぼんやり思っていた。でもなかなか言葉は出てこなくて、書いては消してを繰り返す日々。
このまま書けずに締切を迎えるのかなと思っていた矢先。偶然なのか必然なのか、懐かしい金谷の人たちが夢にでてきた。目覚めてからふといまなら書けるかも、そう思えた。だからこうしてnoteに想いを綴っている。
私にとってのいなフリを、私の温度感で。
さっきからいなフリという言葉を当たり前のように使っているけれど、ぴんとこない人の方が多いはず。このnoteは界隈の人たちに向けたお手紙として、そして自分の振り返りのために書いています。
でも、もしいなフリ(現:ワークキャリア)に興味を持ってくれたのであればぜひ。
自己紹介
振り返りをはじめる前に、簡単に自己紹介といなフリとの関わりについてふれておきます。
photo by マツオカミキさん
▶︎ 自己紹介
・25歳 営業アシスタント
・中国語が好き(大学生のときに北京留学)
・書くのと話すのと撮るのと食べるのが好き
・優しさと明るさの人(高さんの自己理解より)
▶︎ いなフリとの関わり
・金谷24期(2019年8月〜2019年10月)
・まるも広報スタッフ(2019年11月〜2020年2月)
・トラベルライター養成講座の運営スタッフ(2020年2月)
最初は受講生として、その後はスタッフとしていなフリと関わらせていただきました。
個人的に懐かしいなとたまに振り返りたくなるのは、いなフリ生のときよりもその後スタッフになってからのこと。いなフリが終わってからの方が、楽しかったことも悩んでたことも鮮明に覚えている。でも、その話はまたいつか。
変わりたかった、それがいなフリに参加したきっかけ
当時の私は人生迷い子だった。
新卒で入社した会社を半年もしないうちに辞めて、これからどうしようと悩んでいたのが2019年の夏。やりたいことが分からない、転職活動しようにも当時の私にはスキルも経験もなさすぎて、どうすることもできなかった。これからどう生きていこう。悩んでも答えは出ないのに、ただただもがいていた。
何にもない自分が嫌いだった、だから変わりたい。そう思っていた。
そんなとき、ふといつかどこかで目にした池ちゃんのいなフリに関するツイートを思い出した。このツイートをきっかけにいなフリの存在を知ったんだっけ。振り返ったいまやっと思い出した。
いなフリに参加したら自分は変われるかもしれない。なぜかそう思えて、勢いのまま事前面談を申し込んでいた。たしか面談相手は行武さんだった気がする、いま思えばなんて贅沢だったんだろう。
実はいなフリの事前面談をする前、Ponnufが企画していたWANDAというプログラムにも応募していて、のちに統括としてお世話になるヌイさんともお話ししていた。
面談した日が金谷24期といすみ11期の直前だったらしく、まだどっちも間に合うよと言われたのを覚えている。金谷といすみ、初めて耳にした地名で何が違うかなんて分からなかった。
でもふとヌイさん統括のいなフリに参加してみたい、そう思ってしまった。だからこれまた勢いで金谷24期への参加を決めて、大急ぎで振り込みをして金谷へいく準備をはじめた。
いなフリに参加すること、いすみではなく金谷を選んだこと。どれも勢いだったけれど、あのときの選択はきっと間違ってはいなかったんだろう。
6週にも及んだ金谷24期は長いようであっという間だった
わ、懐かしいな。会いたいな。
写真をみて、一番最初に思い浮かんだ言葉。何にもなかった人生迷い子の私を受け入れてくれた、居場所をつくってくれた。自分と向き合うためのスタートラインに立てたのは、きっとメンター陣やともに過ごしたいなフリ生のおかげ。
統括はヌイさん。メンター陣は江川さん、COKOさん、まっちょさん。運営スタッフはえんたくさん。
私のメンターはまっちょさんだった。チームまっちょは年齢が近くて、初日のメンター発表のときに安心したのを覚えている。
まさかその後あんなに仲良くなって夜な夜な恋愛について語ったり、けんけんの変な話を聞いたり、かずきちさんにどんな人が合うのかアドバイスをもらったりするなんて想像もしてなかったけど。いまではいい思い出。
いなフリでは、私はライティングばっかりやっていた。
初めての案件はYouTube動画のシナリオ。自分が書いたものを添削してもらわないといけないのに、それが恥ずかしかった。自分なんかが文章を書くだなんて、しかもそれを誰かにみせるだなんて。まず心の準備をしてから添削の依頼をしていた。そんな気持ちがあったから、文章を読まれるのが恥ずかしかったんだろうね。
でも、そんなことを考えていた私がいまではこうしてnoteに想いを綴っているわけだから人生何が起こるかなんて分からない。
そして忘れもしない、台風15号。
「台風のときのいなフリ生です。」
のちにまるもスタッフになってから「いつのいなフリ生ですか?」と聞かれることが多かった。その度に私はこう言って、「あー、あのときの!大変だったね。」とありきたりな感想を言われるのがお決まりとなっていた。
たしかに大変だったな、あの状況でよく頑張ったよね、ガスも電気も使えないからとまるもの前でBBQしてたね。もはやそういう断片的な記憶しかないくらいに、あのときの私はただただ目の前の出来事に向き合うことしかできていなかった気がする。
講座は2週目を最後に一旦お休みに。
車でいすみに避難したり、Wi-Fiを求めてフェリーで作業したり、都内に戻ったり。いつ再開するのか、はたまたもうこのまま終わってしまうのか、先が分からないまま目の間に迫っていた案件の締切に嘆く日々を過ごした。不安でいっぱいだった、でもなんとか乗り越えられたのは支えてくれたメンターや同期がいたから。
幸いにも講座は無事再開することとなり、迷うことなく私は金谷へ戻るという選択をした。たぶん金谷に戻らないという選択肢は私の中になかったんだと思う。
そして6週にも及んだ金谷24期が終わった。
まだ暑さが残る8月末に始まったいなフリ、終わる頃には季節はもうすっかり秋へと変わっていた。長いようであっという間だった、それが私にとってのいなフリ。
あれから1年半、ささいなことだけど大きな変化
いまの私は会社員をしながら、穏やかな日々を過ごしている。
フリーランスじゃない、アピールしたくなるほど稼いでるわけでもない、派手な取り組みをしているわけでもない。なんてこともない、ただの日常を送っている。
何にもない自分が嫌いだった、だから変わりたい。そう思っていた。
こんなことを思っていた頃といまの自分を比べてみる。当時の私から「何にも変わっていないの?」と聞かれたら、そんなことないよと言ってあげられる自信はいまならある。
ライターはもうしていない。でもnoteは書き続けている。好きなメディアとは、好きなライターさんとは、好きな文章とは。そんな私だったけど、いまは書くのも読むのも好き。
伝えるを仕事に、旅をしながら働く、そんなこと言ってた。本業はサポート業務だから、かなり違う気がする。仕事にはできていないけど、いまは発信が楽しめるようになった。TwitterもInstagramも、自分の好きを出せるようになった気がしている。これもちょっとした成長。
そしてなによりいまは自分のことが好き。いまの自分が好き、そう思えるようになれたのは私の中ではかなり大きな変化。
そうはいっても、いまでも悩んだり嘆いたり、自分を責めては嫌いになりそうなときだってある。でもいまの私には相談できる人たちがいる。安心して不安や気持ちを吐き出せる場所がある。あかねは大丈夫だから、と励まし背中を押してくれる人たちがまわりにいる。
そんな人たちやコミュニティーに出会えたのは、きっといなフリのおかげ。
自分を好きになる、自分を大事にする、自分に優しくする。
そんな当たり前のようで気づけずにいたことを考えるきっかけをくれたいなフリには感謝でいっぱいです。
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金谷を離れてからもう1年半が経とうとしている。
いまでも変わらず仲良くしてくれている界隈のみなさん、成長を見守ってくれている大人たち、直接会ったことはないけれどいなフリを通じて繋がっている人たち、そして一緒に過ごした金谷24期のみんな。
私は私なりに、自分と向き合ってこれからも過ごしていきます。中国語とか花とか写真とか、いろいろと次の行動をしていきたいなと思っている今日この頃。
いなフリ生からまるもスタッフへ、いまだから言えることもいまでも言えないことも。たくさんの出会いと経験、思い出をありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。