小説「下水道管理人、始めました」EPⅡ:記憶

「ちょっと、こいつしぶとすぎない!?」

シャールが少し息を切らしながら言う。
穢れた魂の攻撃は止まる気配なく、怒涛の勢いでマルとシャールを追い込んでいた。

「流石にまずいね、完全にジリ貧になっている。最悪、施設破棄かも」

マルの言葉を聞いて、より険しい表情になるシャール。

「施設破棄、一番避けたいわね……」

二人が次の攻撃に備え、体制を立て直す。

「……」

しかし、一向に穢れた魂は動き出す気配がない。マルは警戒しながらも、少しずつ接近し様子を伺う。

「ウ、ウウウ……」

先ほどまでとは違い、嘆くように声を発するそれに少しずつ外見の変化が現れる。

「マル、アイツの様子が……」

穢れた魂から徐々に黒い霧が発せられなくなっていく。

「これは、浄化されている……?」

マルは今まで経験のない変化に、思わず臨戦態勢を解いていた。

「タ……ケ……、アリ……ウ……オ……サン」

巨大な身体は小さくなり始め、小さな光の粒へとなっていく。
まるで魂の海に向かう物のように。

「……、還ったわね」

シャールの声が静かに響く。

「あぁ、だがあれは一体。僕たちの攻撃による強制的な浄化ではなかった気がする。
 それに消える手前に残した言葉、予想でしかないが御礼にも聞こえた」

考える二人の後ろからガサガサと物音がした。
驚いて二人が振り返ると、トエルが目を擦りながら起き上がっていた。

「トエルちゃん! 大丈夫?」

シャールが駆け寄ると、トエルは少し意識がはっきりしない中で言う。

「あれ、私……中間界に居て……。それで、小さな女の子を助けて……」

そう言葉を発した直後、トエルは再び眠りに落ちた。

「ちょっと次はどうしちゃったの!?」

頭を打たないようにシャールが腕で支える。

「シャール、ひとまずトエルを治療院に連れていこうか。目が覚めたら少し話を聞いてみよう」

「そうね……、気になる事が多いけど今はそうしましょう」

トエルを抱えて部屋を立ち去る2人。去り際にマルがため息交じりに言う。

「はぁ……、この部屋の残骸、後で片づけないとね」

シャールは少し引きつり笑いをしながらマルに聞く。

「そのお片付けは……」

マルは笑顔で自身とシャールを交互に指さした。直後にまた、大きなため息が部屋に響く……。


トエルが目を覚ますと、真っ白な天井が視界いっぱいに映った。
まだどことなく、意識ははっきりとしない。随分と長い間、眠ってしまっていたようだった。
視界の脇に動く影があった。顔を向けると、その影はこちらに気が付いて声をかけてきた。

「トエル! 目が覚めたの?」

たった数日、聴いて居なかっただけなのに妙に懐かしい声色の正体はサリーだった。
雰囲気からして、ここは治療院のようだった。中間界でいう病院のような場所だ。

「あ、無理して起き上がらないでね」

友人からの静止を受け、トエルは顔だけの動きに留めながら聞く。

「どれくらい眠ってたの……? それに穢れた魂は!?」

「うーん、三日くらいかなぁ。穢れた魂は、なぜか突然浄化が始まって今は海へ還っていったみたい」

穢れた魂の件が解決したのは良いが、
穢れた魂と対峙し不思議な体験をしただけで三日も眠ってしまうと言うことに
トエルは少し今後に不安を覚えて俯く。ふとトエルはある事に気がついた。

「って、サリー、あなた役割はどうしたの!?」

サリーは一瞬きょとんとしたした後に、少し自信あり気に

「ふふ、先輩に友達が倒れたっていったら代わってくれて。書記局は下水道管理人より少しだけ余裕があるから」

しかしその言葉を発した後、彼女は苦虫を嚙み潰したように続ける。

「……、初日から友人が危険な目にあっているのに、呑気に記録なんてしていられないよ。
 それに、これしかできない自分がちょっとだけ悔しい」

いつものんびりしているサリーの目が、いつになく真剣だった事が長く付き合ってきたトエルには分かった。

「それにね、書記局だからこそ今回の件で役に立てる事もあるの」

「役に立てる事……?」

トエルが疑問を浮かべてすぐに、カツカツと誰かが歩いて来る足音が聞こえた。

「サリーさん、看病ありが……トエル! 目が覚めたんだね」

隊長のマルが微笑ながら声をかけた。

「すみません、お手数をおかけしました……」

マルは首を横に振りながら、気にする事はないと笑った、

「それでね、早速で申し訳ないのだけれど君が倒れた穢れた魂の件で共有したい事、そしていくつか聞きたい事があるんだ」

トエルは倒れた後に体験した、不思議な出来事についてマルに話した。
それを聞いた彼は、手を顎に当てながら神妙な面持ちをしていた。

「ふむ……、ヘドロ状の穢れた魂、灼熱の車内に閉じ込められた女の子、それを救ったトエル、消え去る手前の言葉」

傍で話を聞いていたサリーは、どこか心当たりがあるような顔つきをしながら言う。

「マルさん、その内容からしてやっぱり……」

マルはサリーのほうを見ながら頷いていた。
トエルは釈然としない様子でいると、サリーは近くの机に置いてあった手帳を広げ説明を始めた。

「えっとね、トエルがその世界であった女の子は石崎紗江ちゃんっていう人間だと思うの」

書記局。そこは中間界の魂が天界に昇って来る際、その魂が中間界に居た時の名前や種族……つまり生前の情報と、
魂の海から再び中間界へ降りる際に、どの種族や名前となったのかを記録する役割を担っている。

「つまり、あの穢れた魂の前世は、その紗江ちゃんって女の子だったってこと? でもなんで分かったの?」

サリーは少し言いにくそうな表情をしながら、トエルの疑問に答える。

「私達書記局はどういう生涯だったかも記録するの。紗江ちゃんの記録を読んだのだけど……辛い内容だった。
 纏めると、両親から良い扱いを受けていなくて、中間界での死因は……重度の熱射病。車っていう密閉された乗り物の中で
 水も飲めず助けも呼べず、一人ぼっちで死んでしまったそうよ」

トエルは驚き、その言葉にすぐに返した。

「待って、その子は私が最終的に車から助け出したはず!」

「それなんだが……、トエル」

マルが興奮する彼女を宥めるように言葉を遮る。
すみません、とトエルが謝る。

「良いんだ。それなんだが……私はこう推測している。
 君は実際に中間界へ降りたって女の子を助けた訳ではない。
 その子の記憶へと入り込み、助ける事で一人で苦しんで死んでしまった記憶から解放され浄化されたのだと……ね。
 だから君の目が覚めたあたりで、僕とシャールが致命的なダメージを与えていないにも関わらず、穢れた魂は浄化されていった」

トエルは今までの出来事が腑に落ちたと同時に、やるせない気持ちになった。
あれほど頑張って助けたのに、実際に命を助けた訳ではないのか……と。

「そしてありがとう、トエル」

トエルは驚いてマルに顔を向ける。

「正直、あの穢れた魂は異常に強かった。私とシャールは完全にジリ貧だったし危なかった。
 君は私達を救ってくれたんだ。それにね、苦しい記憶でいっぱいだった魂を浄化できたんだ、戦わずにね。これは凄い事だよ」

マルは笑いながらトエルの頭に軽く手を置いた。
トエルはさっきまで自責の念でいっぱいだった思いが、それによって許されている気がして少し目に涙が浮かんだ。

「今だから言うが正直、下水道管理人の状況は厳しい。知っての通り、我々天使は個体によって得意分野が大きく異なる、まさに天性の才能に左右される。
 そしてそれ以外の能力を大きく伸ばす事は難しい特性を持っている。つまり……下水道管理人のように戦闘が必須となる場所では
 大体は生まれつき戦闘能力に長けた天使が選ばれる。しかし……、最近何故か魂の穢れによって生じた化け物の能力が異常に高い。
 まだ完全には分かっていないが、もしトエル、君が故意にその力を使えるのならば、戦いによる浄化が難しい魂でも勝機をつかむ事が出来る」

マルは一呼吸おくと、トエルに向かって頭を下げた。

「マル隊長!? やめてください、そんな」

トエルが慌てて止める。

「来たばかりなのに怖い想いをさせるばかりか、重責を担わせてしまって不甲斐ないと僕は思っている。
 ……、どうか、これからも力を貸してほしい」

静寂に満たされた部屋の中で、トエルは静かに、そして力強く頷いた。


「報告いたします」

満月が照らす夜、崩れたビルの外壁の傍で跪いている影がいた。
その前には背中を向けたまま、首を縦に振り続きを促す影もあった。

「奴が仕込んだものは天界で浄化されたようです」

暫くの間のあと、少し安堵した溜息と共に背中を向けたままの影は言う。

「あれを……。正直、天界の奴らの手に負えないかと予想していたが、何か有効な手立てを手に入れたか」

「私も気になっていたのですが、浄化方法についてはまだ掴めておりません」

そうか……、と報告を聞いた男は天を仰ぐ。

「何か分かったら教えろ、いずれにしろこのままにしておく訳にはいかぬ」

「承知しました、必ずや情報を捕まえてみせます。

――我ら、悪魔のために」

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