不登校日記(仮)②
保育園時代と確認行動
馴らし保育1日目、連れて行って一人で保育園を出た時はさすがに私も泣きましたが、すぐに切替えて仕事モードに「仕事ってなんて楽なんだ」と思ったものです。
ところがなかなか切替えられない娘、そういえば人見知り場所見知りがすごかった。保育士さんから「馴らし保育延長で」と言われ、通常の倍期間を取りましたが、結局馴れないまま「もうこれはしょうがないね」とあきらめモードで無理やり通常保育突入。
朝送る担当の夫は心苦しい毎日を過ごしたようですが、3か月目くらいかな。いつもお迎えに行くと抱っこのポーズ(両腕を上にあげ、抱っこしてほしい時に幼児がする所作)で半べそで出てきたのに、「帰りたくない!」と寝転んで泣いて嫌がるように!!
『やっとここまで!!』と感慨深い気持ちになりながら「さようなら~」と攫うようにして帰る母でした。
この頃から娘が小学校3年生くらいまでの私は一日何回も時計を見て「早くして!」が口癖でした。何回も何回も時計を見て、ずーっと時間を気にしてました。いまはそうでもなくなったかな、私頑張ってました。えらいねと思います。
でものんびり屋さんの娘はきつかっただろうな、いま振り返ると…ですね。
また、年長さんくらいから「お母さん大好き」と何回も何回も言うようになります。
「お母さん大好き」『おかあさんもだよ』
「お母さん娘のこと好き?」『もちろん、当たり前じゃん』のやり取りをほぼ毎日、
『なんでそんなに言ってくれるの?』と聞いたこともありますが「わからない、言いたくなるの」との事。
【特に怒られた後、少し時間がたってからの事が多いかも】と考え『怒ったりすることもあるけど、嫌いになる事なんて絶対絶対ないんだよ』と繰り返し言いました。
それでもつい最近(中1)まで繰り返しは続きました。ある時からぱたりと言わなくなりましたね、大丈夫と納得できたのかな、心の自立・親離れの始まり?
『しつこい』『もう聞かないで』とか言わなくて良かったー
娘の特性としてもう一つ、怒られるのを異常に嫌がると言う事。『○○しないとだめだよ』とこちらとしては≪連絡・注意≫したつもりでも≪怒られた≫と感じてしまうようでした。特に大きな声がだめで、思考停止に陥る事が多く、なにで怒られているのか、どうすれば良いのかわからなくなってしまい、固まってしまう。『これからどうするの?何とか言ったら?』と言う私に「ごめんなさい」と言うしかなくなる状況に…。通じない事にヒートアップして大きな声で怒鳴っていた私もそこで【またやってしまった】と気づき、『どうして怒られてるかわかる?』と聞いても「わからない」らしく、一からゆっくり優しく説明しそこで理解。それはわかっても私も変えることは難しく、ついつい怒鳴っては後から『ごめんね』と謝る日々、優しい娘は「いいんだよ」と許してくれていました。これもつい最近までやってました。大きな声自体がダメと言うのはなかなか学校生活は苦しいですよね
ちょっと自分で沈んでしまったので、今でも思い出す娘のかわいい所を一つ
ママではなくお母さんと初めから言っていたもち家、発語は早かったのですが「おかあさん」は難しい様子で「あーしゃん、あーしゃん」と言うようになりました。それが進化して「かーしゃん」ここから「おかーさん」まで時間はかからなかったけど、かわいかったなー。