なぜ、パートナーの愚痴を言うのか
40代の先輩が職場で家庭の愚痴をぼやいていた。
「うちの嫁、本当に何もやらなくてさ。家が本当に汚くて。犬小屋のほうがよっぽどましだよ。」
その言葉を聞いた、20代後半の新婚君が、
「まぁ。たしかに。だったら、Aさんが掃除すればいいじゃないですか」
グッジョブ。後輩君。君はすばらしい。と内心拍手喝采をしていた。
パートナーに対する愚痴は、古今東西、盛り上がる話題の1つである。のろけ話を嫌味なくするというのは、一般人にとってなかなかハードルが高い。その点、愚痴は簡単である。その場を盛り上げたくて愚痴を言う場合もあるであろう。しかし、なんだか愚痴を言う自分がかっこ悪くて、周囲を不快にさせる場合もある。そういう愚痴は、言わないようにしよう、と心がけている。ところがである。
先日、後輩の女の子に、
「みやこさんの彼氏さんって、なんのお仕事されているんですか。」
と聞かれたときに、
「大した仕事してないんだよね~。給料も安いし。」
とぼやく自分がいた。
その瞬間、しまった!と思ったが、もう遅い。なぜ、私は、そんな話をしてしまったのだろうか。
たしかに彼の給料は、私の給料より安い。学歴も大して必要としない職である。しかし、技術は必要だし、私にはできない仕事である。彼がプライドをもって仕事をしていることも知っている。そんな彼を尊敬していることは、嘘ではない。
この言葉を言った後に後悔の波が襲ってきた。別に、本人を目の前にして言っているのではないから、気にしなくてもいいことなのかもしれない。でも、その言葉を発したことにより、「彼の仕事は大したことではない。」という自己認識が現実になってしまったような感じがして、嫌でたまらなかった。自分が40代のおじさんと同じ発言をして、もしかしたら誰かを不快にさせているのかと思うのも嫌だった。
友達の話をするときに、
「あの子、大した仕事してないんだよね。給料もうちらより安いよ。」
と笑いをとろうとしたら、きっとその場の空気は、凍り果てるであろう。しかし、パートナーだとなんだか許されてしまう気がする。
それは、
パートナー=自分
という定義づけがしやすいのでないかと思う。
美人な嫁を連れている俺=いい男。
リッチな旦那と暮らす私=いい女。
のように、
パートナーの価値=自分の価値
ととらえるからこそ、パートナーを卑下してもよい感覚に襲われるのではないか。しかし、パートナーは一人の人格であり、自分ではない。その感覚がないと、自分の価値観を押し付けてしまうのではないか、と思う。そもそも、自分自身のことも卑下する必要はないのだが。自分には、パートナーを認める感覚が薄かったのだと思う。
のろけ話をしなくてもいいけれど、一人の人間として、パートナーと認め合い、よい関係を築いていけるように修行をしていきたい。