欲と満足とぱぱるの憂鬱
「うああああああああああああ」
ぱぱるは夜中、飲み足りなくて、家のソファでウーロンハイの缶をぐびりと飲んでから、うめいた。
わかってしまった。
少し、人間の人生というものが。
生きることって大変。というのがぱぱるの持論だった。
お金もかかるし、人と支え合わないと生きにくい。
そのくせ、人付き合いでの悩みが起きやすい。
神様が人間を、支え合わないと生きていけない弱い小さい生き物にキャラデザしたせいで、ひとりだと物足りなく感じたり困難が来たときに詰むようになってるし。スケールのでかい蟻みたいなもんだろ人間って。とか思う。
生きることって大変だからこそ、大変だけど生きなきゃいけないからこそ、せめて幸せに。
せめて、わたしが心の奥底でぽそっと生まれる「こうなりたいな」を叶えようとする人生がいい。
それが20代後半、アラサーのぱぱるの持論で、人生の指針だった。
だけど、今夜なんとなく入ったバーで出会った素敵なマダムとお話しして、気づいてしまった。
綺麗で所作も素敵でうっとりしてたら、なんと50代だった。
見た目は30代前半に見えるのに。
聞いたら美容整形をたくさんしていた。
でもそれだけでは出しえない、みずみずしい魅力が溢れてた。
マダムにそのまま話を聞いたら、30で結婚して、1年で離婚して、自分のお店を持って、今は女の子の若い彼女がいて、だけど大失恋も2年前にしてて。
ままならない傷も抱えながらも、目は光り輝いていて。
説得力がありすぎた。
気付いてしまった。
ぱぱるが望む人生をそのまま謳歌した例が、マダムだった。
際限がない。
好奇心には、望みには、際限がない。
いつまで、新しいことへ挑戦する勇気と度胸をふるい続ければいいのか。
ぱぱるは、アラサーになってから、秋葉原でメイドさんになった。
メイド服、わたしには似合わないと思ってた。
センスなくて、アイドルおたくで、目に光がなくて、パッとしない。
そんなわたしがかわいい服なんて似合わない。
ずっとそう思ってきた。
だけど、もう20代が終わるかもと思ってから、今ならまだ、最後のチャンスがあるかもとふつふつと思いだした。
OLもしてるのにどうやるんだって思いながらも、とりあえず挑戦してみようと、
えいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえい
ヤァーーーーーーーーーーッッ
って踏ん張って履歴書を書いて応募して、YouTubeで人気メイドさんの地雷メイクをみて真似して、必死に面接で良さそうに振る舞って、なんと採用された。
怖かった。ぜんぶ。
それにめんどくさかった。
未経験で未知なことってストレスだし、手探りってめんどくさい。
わからないってコスト高い。
不安だし、もちろん、うまくいかない。惨め。
もっともっとかわいい年下の子達より、容量が悪いわたし。
でも、捨て身で扉を叩いた。
結果、楽しかった。だけどやっぱり、傷つくこと惨めなこと大変なこともたくさんあった。
怖がる自分への合言葉は、
「20代がもう終わるから。今だけだから。あと数年だけだから。」
この言い訳で、怖い思いも痛い思いも葛藤も飲み込んだんだ。
30になったら、足を洗って。怖くない世界でのんびり過ごそう。
キャンプをしよう。絵を描こう。美味しいコーヒーの淹れかたを研究しよう。
とっても満足してる。幸せ。
だけど。
マダムと出会って、仮説が立ってしまった。
キラキラした面白い人生の本質って、挑戦し続けることなのかもしれない。
ああああああ
この20代のこの感じを
ずううううううううううううううっと続けていくのが
あたしが望む人生の本質なのかと。
軽めの絶望。
ずーん。
望むことと、諦めること。
"諦める"って、言葉だけをみるとネガティブに感じるけれど、人生の中の諦めるって「これで満足!」みたいな、前向きに区切りをつけてOKスタンプを押すような感覚でもある。
合格のハンコみたいな、卒業証書のような。
家にずーっと引きこもって生きていけたらいいのに。
居心地のいい空間で、冒険しなくても現状維持で寿命まで暮らしていける安心があって、恥も我慢も比較もいらないように誰とも関わらないで、そのままささやかな趣味をひとりで楽しんで、そのまま穏やかに寿命を迎えられたらいいのに。
これでいい、は嘘だ。
大抵よくない。
これでいい、これで満足、これで安心。
いちぬけぴ、した気持ちでも、
自分の心は騙せない。
結局、いま思う最善を選び続けるしかない。
ままならない。
ままならないよ。
欲と満足。人間って難しいよ。
そう、軽い絶望に苛まれながら、ぱぱるは最後のウーロンハイを一気にぐびりと飲み干した。