「自分らしく」って切実な生きる術だ
私は「人間の感情や思考」と「美しさ」にしか興味がない。
これらが全てで、だから趣味も仕事もこの辺りのことばっかりで、そういうことばかりにしたがっている。
こういうことに時間を使ってたい、それが人生だって多分本気で思ってるんだよね。
頑張れば人並みには仕事できてきたけど、それは無理してるからちゃんと続かない。
つまりは本当にできることとか向いてることではないってことだ。
いいと思えない仕事も仕事だからと割り切れる人もいるだろうけど、私はそれができない。何事にもどんな些細なことにも感情が揺り動かされて一喜一憂してしまう私は、上手くいかなかったら落ち込んでしまうし、あまりに起伏がなくても虚無を感じてしまうかもだし。
自分のやりたいことや関心のあることに関わること以外に時間を使っていると、段々生きている意味が分からなくなってしまう。たとえそれが生きる上で必須なもの(生活費とか)の為だけにあるものだとしても。
そうなると、私はわがままだしやっぱり社不なんだなと思う。
でも、その興味あることだけやってたいって気持ちは「自分で選べるもの」に対しての話ではあると思う。
例えば、親の介護とかそういう自分の感情を優先にする訳にはいかない致し方ない物事に直面したら話はまた変わってくると思うから。
でも、私の中で仕事とか働き方っていうのは「自分で選べるものごと」だというだけのことだ。私の中で仕事は、仕方ないと割り切るものではなくて自分で選べるものだろと思っている。
それは、なんでもやる気になればできるとか選択肢は無限大みたいなキラキラしたことではなくて、誰に強制されるものでもない選択の権利が自分にあるものなんだから仕方ないからと諦めるようなものでもないんじゃないかって話だ。
仕事なんだから仕方ないよ、って世にいう「仕事」って概念に全てを悪役を押し付けて思考停止するのも違うんじゃないかって私は思ったりする。
実際、今自分がやりやすい働き方を選んでみて、フリーターになってみて、これが最適解だとは思ってないけど仕事って働く方法って力が無くたって自分で選べるんだなって実感している。これは唯一と言っていいかもしれない、自分自身で自分に証明したことだ(苦笑)
私の社不はもう少し解像度を上げると、仕方ないと割り切ったり自分の感情を抑えて我慢したりすることができないってことなんだろうなと思う。マイナスな感情を表に出す、みたいな他人に有害になることはしないけど、その分内でめちゃくちゃ感情が溢れてる。そういう類の我慢ができない、なんじゃないかと思ってる。
感情を上手くスルーすることができない人間だから。
これは、仕事したり色々な人間関係を育んだり、もう少し社会経験を積んでいけば変わることなのかなと考えたりもしたけど、24年間自分を見てきた感じだと、視野が広がったり物事の捉え方の数は増えていって少しは改善されていくんだろうけど、根本はそう簡単には変わらないんじゃないかという気がしてる。
じゃあやっぱり自分に合った、というか自分にできるような生き方をしていく、という結論に至るんだろうなと思う。
自分のことをちゃんと理解してちゃんと向き合って考えて、自分らしく生きていく。
言い古された言葉だけど、私の思う「自分らしく」ってこういうこと全部のことで、
辛いと思うことばかりじゃない毎日にする為の、生き続ける為の切実な術だ。
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