「いつもの」を失くした
「また、次」が決まってないどころか無い可能性の方が高い関係の中ばかりで泳いでいたら、帰り道に哀しくなることが分かった。
分かったというか本当は気付いてたけど、帰路の疲労感に隠していたような気もする。
綺麗な22時過ぎの夜景を一途に楽しめないのが悲しくて、もう見て見ぬ振りできないかもなと思った。
所属する場所がないというのは縛られなくて気を遣いすぎる必要もなくて自由だ。気が楽。
そこらじゅうの人の気持ちを汲むことに疲れて環境を変えた私には心地がいいように思えたし、実際心地がよかったし、それは今も変わってない。
でも、ないものねだりなようで
解放感を手に入れたら、"いつもの"ってのが少しまた欲しくなってしまっている。
毎日違う場所、違う景色。とても好きだ。
でも、今日もいつもと変わり映えしないここ、なんていう場所を、手放し過ぎたかもしれない。
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