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「先生、また年休ですか?」
朝6時、携帯電話のアラームが鳴る前に、私は目を覚ました。目の前にはいつも通りの暗い天井が広がっているが、どこか違和感があった。隣のベビーベッドをのぞき込むと、2歳の娘が熱を帯びた小さな手で布団を握りしめ、浅い呼吸をしている。
「また熱?」私の心は一気にざわついた。
これで今月3回目の年休になる。
頭の中でカレンダーが勝手に動き出す。年休を取った日、振替の授業、溜まった書類仕事——それに、同僚たちの視線。思い返すと、あの小さな職員室はまるで戦場のようだった。
「先生、また年休ですか?」
先週、上司に電話をしたときの冷たい声が耳に蘇る。そこには同情も理解もなかった。ただ事務的に「わかりました」と言われ、すぐに電話を切られたあの感触だけが、心に深く突き刺さっている。私は手のひらで顔を覆い、ため息をついた。
夫は出張中だし、両親は遠方に住んでいる。頼れる人がいない現実は、ずっと自分の肩に重くのしかかっている。
「ママ、どこいくの?」かすれた声で娘が目を開けた。
「ママはね、今日はお休みするよ」
言いながら、自分がどれだけこの一言に罪悪感を抱いているか、自分自身でもわからなくなっていた。
職員室のドアを開けた瞬間、空気が少し張り詰めた。誰も何も言わないが、視線が一瞬、彼女に集まるのを感じる。
「すみません、体調不良で昨日の授業の振替がまだ——」
「大丈夫ですよ、先生。」
先輩の佐藤先生が笑顔で返事をする。しかし、その笑顔は薄い膜のように脆くて、奥には疲労感がにじみ出ているのがわかった。
授業が始まっても、私の心は落ち着かない。教室の中で生徒が手を挙げるたび、頭の中では「私がいない間に何か問題が起きたのでは?」と不安が膨らむ。職員室で自分のデスクに戻るたび、机の上に置かれた未処理の書類や付箋が、責めるように彼女を見つめる。
「やっぱり、私はみんなに迷惑をかけている。」
その考えが一度浮かぶと、どれだけ振り払おうとしても、頭から離れなかった。
放課後、廊下の窓際に立つと、夕日が遠くの山をオレンジ色に染めていた。私は少しだけ深呼吸をして、自分に言い聞かせた。
「大丈夫、大丈夫……。」
だが、そのとき、背後から聞こえた声が、彼女の心をまた揺らす。
「あの先生、いつも年休ばかりだよね。お母さんなんだから、しょうがないって言うけどさ、こっちはその分仕事が増えるんだよ。」
声の主は、若い男性教師だった。私は動けなかった。心臓が早鐘を打つように鼓動し、涙があふれそうになる。
けれど、そのときだった。小さな声が、彼女を引き戻した。
「ママ、ただいま!」
自宅に戻ると、娘が玄関まで走ってきて、彼女の膝に飛び込んできた。その小さな体温を感じると、私の心に少しだけ暖かいものが灯る。
「この子のために、私は戦っているんだ。」
次の日の朝も、私はまた葛藤するかもしれない。電話をかけるときに、また冷たい言葉に傷つくかもしれない。でも、そのすべてが、この小さな命のためなら乗り越えられると、心のどこかで信じていた。
玄関に飾られた一枚の家族写真が、決意を支えていた。
「今はまだ辛い。でも、きっといつかこの道にも意味がある。」
私は静かに微笑み、娘の頬に優しくキスをした。