自転車さんぽ 伝説の人×漬物÷1900年=神話的タイムトラベル
漬物の神様を祀ってある神社に自転車散歩の時、たまたま行き着きました。
そして、その漬物にはヤマトタケルノミコトが関係していました。
非常に地味な話ですが、ヤマトタケルノミコトが漬物を食べていたって皆さんご存じでしたか?
カリッ、コリコリ、うまい!といったというお話です。
場所は萱津(かやつ)神社という所です。
愛知県あま市にあります。
ちなみに、今まで私はヤマトタケルノミコトは架空の人だと思っていました。
剣・大地・大蛇のお話の人だと思っていたからです。ですから、たとえば食事に困った時でも、鳥たちがどこからともなく運んできてくれて、「これを食べて下さい」と言ってくれたりするのだと思っていました。
しかし、この神社に出てくる漬物とヤマトタケルノミコトの話は、もっと地味というかリアルです。
そして、1900年前から続く萱津神社周辺の人々の熱田神宮への漬物の献上につながっていきます。
日本武尊が当時、ここの漬物を食べて言った言葉は
「藪に神物(やぶにこうのもの)」
だそうです。
「藪(やぶ)に」とは、草木が生い茂っている村という意味かもしれません。
「神物(こうのもの)」はまるで神様の恵み、ということでしょうか。
その「神物」が今は「香の物」になり、
飲食店のメニューにも漬物の別名として書かれています。
〈漬け物誕生へ〉
この辺りは昔、海辺でした。
藻塩(もしお)という塩も取れていたそうです。
藻塩は海藻から取れる塩のことだそうです。
今は名古屋港から15 km 離れています。
当時、村人は野菜などを神社にお供えしても、すぐにいたんでしまうことを憂いていました。
そこで、試しに、瓶(かめ)の中に野菜と藻塩を一緒に入れてみたそうです。
そして、しばらくしてふたを開けてみたら、
漬物ができあがっていて、それが日持ちもするし、美味しいことがわかったのだそうです。
そして、ヤマトタケルノミコトがかの地を訪れた際、その漬物をすすめたのでした。
ヤマトタケルは、滋賀県の伊吹山で大きな傷を負ったというお話があります。
それが原因となって、ヤマトタケルノミコトは亡くなることになったそうです。
その後、熱田神宮に祀られることになりました。
その後、萱津神社の村の人々は、
ヤマトタケルノミコトを忍んで、1900年前から毎年、熱田神宮に漬物を献じ続けてきたそうです。
明治維新の時に中断されることになりましたが、大正四年、地元の氏子総代の方、郷土史研究家の方、そして熱田神宮の方の
「欠くことのできない大事なものである、是非とも復興してほしい」
というお言葉で漬物の献上が再開されたそうです。
漬物のは、ハンバーグのようなメインディッシュと呼ばれるものではありませんが、
とある村の人々が1900年もの間、熱田神宮に献じ続けたものでもあるのですね。
香の物は神物ですね。
これから漬物をいただく時や、香の物と書いてあるのを目にしたときに、この話をちゃんと思いだせるといいな、と思います。