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ほう、ここが『ド』ですか…

20年、いやもっと前に、まだこの田舎では大人のピアノが珍しかった頃ピアノを始めた元生徒さんのお話です。


娘さんが子供の頃に使って今は弾き手がないピアノ。初老のお父さんが習いたいとやってきた。

その頃大人の生徒さんが何人かいた私のところを調律師さんが勧めてくれたという。

「ほう、ここが『ド』ですか…」

その時のキラキラした目が忘れられない。
素直で、知らないことを知る、学ぶ喜びに溢れていた。

ゴツゴツとした大きな手。思うようには動かなかったがいつもマイペースで練習をした。


初めての発表会では、ステージ中央に進める歩みを中程で止めると、グランドピアノに向かって深々とお辞儀をし、ゆっくり客席に向き直ってお辞儀をし、ピアノに座った。

初めてそれを目にした時、そこに居た皆が感動した。

演奏は大概途中で止まったりしてフォローに入ることも多かったが、いつも最後まで頑張って弾いていた。

娘さんとの連弾を叶えた年もあった。
その後奥様とも連弾した。
うまくできてもできなくても、いつも嬉しそうだった。

レッスンで少し言い過ぎたかな、言い方を間違えたかな、とこちらが後で悩んだこともあったが、きっとそれを素直に耳を傾け、受け止め、取り込もうとしてくれたのだ。いつもいつも。本当に自分軸の人だった。

病気で休会されたのち、ある時ご自分で区切りのご挨拶にいらっしゃった。

それから何回目かの秋、市の広報のお悔やみ欄にお名前を見つけた。

発表会のステージでグランドピアノに深々と頭を下げていた姿がパーっと思い浮かんだ。胸がいっぱいになった。



私にとって初めてのシニア男性の生徒さんの思い出を書きたくなりました。

他の誰でもない、“自分はどう感じるか”を基準にしておられ、心の喜びをとても大切にされていました。
うまくいかない理由を自分の外に探そうとせず、まだまだ至らないところだらけだった私の助言にも素直に耳を傾け、人の10倍時間がかかっても、自分の感覚と繋がるためにゆっくりと練習されました。

自分の感覚と音楽が馴染んだ時、それはとてつもなく楽しくて、例えようのない喜びだったと思います。そんなお顔をされていました。

そして発表会の時など、人にもとても優しく接しておられました。

今でも時々思い出す、自分軸のお手本のような方でした。神様は、この方に学びなさいと私の前にお遣わしになったのではないか。

そんなふうにさえ感じています。



最後までお読みいただき、ありがとうございました💐


ここぴ

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