カレリア語映画『LINDU(小鳥)』
カレリア語映画プロジェクトの最終作『ILMU』の撮影に向け、フィンランドのクラウドファンディングサイトで支援の呼びかけがスタートしました。ぜひ応援頂けると嬉しいです!詳細は以下の記事をご覧ください。
第1作目『VENEH(小舟)』に関しては以前、別の記事で紹介しました。
今回は、第2作『LINDU(小鳥)』を紹介いたします。
『LINDU 小鳥』は、カレリアの伝統的な通過儀礼をテーマとしたシリーズの2作目で、「死」をテーマとしています。1960年代のソビエト・カレリアの村を舞台に、亡くなった男性の魂が祖先たちの住む《白きあの世》へ旅立つ過程を、残された者たちによる儀式的な側面、死者である男性の精神的な側面からそれぞれ描き出しています。
カレリアでは死者の世界を「トゥオネラ」または「マナラ」と呼びます。亡くなった先祖たちが暮らすこの黄泉の世界に送り出す葬礼の儀式は、亡くなった者が迷わずに先祖たちのもとへたどり着くよう、また死後の世界で不自由なく暮らせるよう準備を整えるといった意味を持ちます。
定められた手順に則り、死者の身を清め、家の定められた場所に安置し、埋葬までの期間は決して一人にさせないよう夜には見張りがつけられました。死装束に正装された故人が収められた棺は、必ず朝のうちに墓地に運ばれ、すべての埋葬儀礼が午前中までに終えられます。死者の時間である午後に墓地を訪れるのは禁忌とされていたからです。死後40日後に行われる追善供養の儀式までは故人を悼む期間であり、故人にとっても死者の世界の住人となるための過渡期です。そのためこの期間、死者の魂はしばしば現世の家族のもとを訪れます。
死者との「秘められた言語」である泣き歌が、かつては喪に服す期間をとおして歌われ、ご先祖様に新たな訪問者へのお迎えを求めるとともに、死者への愛と遺された者の喪失感を表現してきました。
こうしたカレリアの伝統的な葬礼儀式と泣き歌は、研究者たちのフィールドワーク調査によって詳細に記録されています。
映画では、さらに時代が進み正教会の影響が少しずつ流入し、さらには社会主義の台頭と世界戦争が人々の生活のみならずカレリアの伝統にも強く影響を及ぼすようになった1960年代を舞台としています。
兵士たちの死は国家の栄誉であり、葬礼の場では国旗が掲げられ、棺は国旗または社会主義を象徴する赤色の布で覆われるようになりました。かつては葬礼においてもっとも忌むべき色であった「赤」が、伝統の場においても認められるようになります。死者が身に着けるものは「生きている間に準備しておく」のではなく、「教会で購入する」ものに取って代わられ、泣き歌の代わりに正教会の聖歌《聖三祝文(Святый Боже)》が歌われるようになりました。
辺境の地であるカレリアの村には牧師がわざわざ赴く機会は少なく、兵役で男たちが不在の中、儀礼を取り仕切るのは女性の役目となります。かつて泣き歌を響かせた女たちは、古き伝統儀式と教会の儀式を自分たちなりに解釈し、のこすべき伝統の取捨選択をしながら独自の形へと発展させました。
『LINDU(小鳥)』では、こうした教会や社会主義国家の影響を受け、新たに「創造された」儀礼を取り仕切るカレリアの女性たちの姿にも焦点を当てています。
カレリアでは人がこの世に生を受けるとき、鳥が魂を運び、死の瞬間にふたたび運んでいくという考えが今でも残っています。とりわけ幼くして亡くなった子どもの魂は小鳥(ときに蝶や羽のある昆虫)に宿るとされ、「魂の鳥(Sielulintu)」と呼ばれています。映画のタイトルは、まさにこの伝承を示しています。
映画で語られるナレーションは前作『VENEH(小舟)』同様、カレリア語リッヴィ方言。主人公の死を悼み母親が歌う泣き歌は、15~16世紀にモスクワ郊外のトヴェリ地方に移住した人々が話す方言で、北部方言から分岐したものです。
『LINDU(小鳥)』は現在、フィンランドの各地で巡回上映が行われており、その後にインターネット上で無料公開される予定です。公開まで今しばしお待ちください。
日本語字幕版の上映イベントは、秋ごろの開催を目指して準備中です。詳細は決まり次第、ここNOTEでも発信していきます。
また、映画プロジェクトのHPにも日本語ページが追加されました。体裁が少しズレてしまっているところもありますが、どうぞご覧ください。
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