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抱擁

 私鉄沿線、かろうじて急行が停まる規模の駅から歩いて十分のところにある部屋だった。三階建てのアパートメントで、二階と三階にそれぞれ五つの部屋がある。一階には貸しテナントが三つ、クリーニング店と美容室が右側と真ん中に入っていて、左側の部屋の壁には空室の張り紙が貼られていた。私の部屋は、三階の角部屋だった。ベランダは東に面していて、北にも窓があった。駐車場がついていることを譲れない条件として、不動産屋が紹介してくれた中から一番安い部屋を選んだ。悪い場所ではないですよ、日当たりは午前のうちしか頼りにならないかもしれません、エレベーターもありませんが、と不動産屋が言って、私は、なにも不満はないと頷いた。
 不動産屋の言う通り、明るいのは午前のうちだけだった。しかし、冬の朝には、冷えた部屋にゆっくりと滲むように光が充満した。ベランダに平行に置いたベッドに宿るひと時の熱は、いつからか、私を静かな光の中で抱え上げてくれていた。
 
 

 
 
 わずか半年間、しかしほとんどいつも一緒に暮らすようにして付き合った宮本と別れると同時に、その生活は始まった。
 私が宮本の部屋に行くことももちろんあったが、宮本が私の部屋に泊まることの方が多かった。不釣り合いな折り返し運転のような日々だった。
 宮本は私の引っ越し先をそれとなく訊いてきた。教えても構わなかったのだが、宮本が訪ねてくるようなことがあれば断れないだろうし、油断すれば自分自身の弱さが出てしまいそうで癪だったから、結局、住所は伝えなかった。一人の生活に、早く馴染みたかった。宮本との時間は、私の住まいを、私のために管理されなくてはならない場所を、虚しくしていたのだろう。宮本と別れた後の部屋は、まるで使われていない物置小屋みたいだった。半年など大した時間ではなかったが、長さの問題でないことはよくわかっていた。宮本が置き忘れていった、趣味の良い、だが私には使いようもない、陶器のプレート皿がキッチンに置かれているのを見て、市の燃えるゴミにこっそり出しても平気だろうかと唸った。そんな馬鹿馬鹿しい逡巡の合間で、誰かのためではない、私が私を守る生活を一から築き上げる必要を感じ、新しい部屋を探し始めたのだった。
 
 
 職場は、私立大学の工学部の事務室だった。アパートメントからは、車で二十分走ると大学に着いた。勤務時間は規則正しく、仕事が終われば、部屋に帰って適当な食事を作ったが、週に一度は、駅前まで歩いて行って、一人でも入れる飲み屋で時間を潰した。
 私の部屋は、防音に優れているのか、夜は特に、しんとした。玄関を開けるとすぐに狭いダイニングキッチンがあり、その奥に十畳ほどの居室が広がっている。外から部屋に戻ると、私はすぐにシャワーを浴びるのが習慣だった。綺麗になった身体を鏡の中で眺め、ボディソープの香りを鼻先に感じる。そうして浴室から居室に行くと、どうしても、途方もない寂しさが全身にまとわりついてきた。漠然とした時間は、アルコールなしでは乗り越えられなかった。ときどき泣きそうになったが、肝心の涙は出ずに、目頭が熱くなるだけだった。
 孤独に抵抗する時期が続いた。寝る前に香水をつけて、ベットにもぐりこむこと。たまには近所の酒屋で少し良いワインを吟味し、惹かれたラベルのボトルを買ってきて、深夜に栓を抜くこと。そのときは、フローリングに直にグラスを置いて、壁にもたれかかりながら体育座りの姿勢でワインを飲む。テーブルもクッションも必要ない。諸々を整えてしまえば、惨めさが増すだけに決まっていた。それから、歯磨き粉を、チューブの中身を使い切らないうちに、一か月に一度はわざと買い替えること。人工的な清涼感の違いでさえ、生活に無理やり起伏を与えることができた。すべては、寂しさを紛らわす行為だ。
 
 

 
 
 例年よりも早く梅雨が明けた。が、その日はぐずついた天気だった。仕事から帰ると、ちょうど雨はあがっていた。どうにも一人では耐え難い気分だったから、折り畳み傘を鞄に入れて部屋を出た。
 駅の反対側にあるバーに入った時、客はまばらだった。カウンターの奥に中年の男女と、真ん中の席に若い男がいた。横顔を見て、私よりそれなりに歳下であることはわかった。私はその男から二席空けて入口に近い席に座った。
 視線や手の動きで、男も他人を求めていることは容易に理解できた。一人での生活に浸っていれば、同じような相手の心に綻びがあるかは見当がつくようになる。声も出せないほど締め付けられる夜をやり過ごしてきた人間にしか見えないものもあると、私は信じていた。
 私のグラスが半分になるかというところで、やはり男は話しかけてきた。話してみると、男はまだ学生だった。顔は素朴な部分があったが、振る舞いは大人びていた。お互い近所に住んでいるおかげで初めの話題には困らず、駅の工事が長引いていて不便だとか、どこそこに新しいイタリアンの店ができたなど、無害な情報交換をした。同時に、男の通う大学が自分の勤め先とは違うとわかって、私は安堵していた。
「なんの勉強をしているの?」
「教育学です」
そう言って、しかし別に教師になるかはまだわからないのだと男は説明した。男は私の仕事について聞きたがったが、事務をしているとだけ答えた。
「それより、あなたの大学の話を聞かせて」
「僕の生活なんてつまらないですよ、弱ったな」
だが、男は一通り私の質問に答えてくれた。親切な性格なのだろう。あ、私はずるいことをしていると思った。自分のことは話せないくせに、歳下の男には喋らせている。私たちはきっと、互いに実体の掴めない生活にそれでもすがっているというのに。
 店が混んできたので、私と男は揃ってバーを出た。外は小雨が降っていた。
「傘、持ってないんですか」
「折り畳み傘があるんだけど、小さくって……」
「それじゃあ、僕の傘に入っていきますか?送りますよ」
私と男は、濡れないように寄り合って並んで歩いた。男はすらりとした長身だった。
 アパートメントのそばまで来たところで、いつのまにか雨が止んでいるのに気がついた。
「ねえ、雨、降ってないみたい」
「ほんとうだ。傘、要らないですね」
 私たちは立ち止まって、男は傘を畳んだ。その様子を見ながら、なぜか私はあの部屋の静けさを強く想っていた。あれほど逃れたかった静寂が待っているとしても、そこはすでに間違いなく私一人の部屋だった。
「ごめんなさい。家、すぐそこだから、もう大丈夫。でも、ありがとう」
男はわずかの間、なにか言いたげな表情をしたが、それじゃあ、おやすみなさい、と礼儀正しく挨拶をして、控えめに元来た道を戻っていった。
 部屋に帰って鍵を閉めると、無意味な疲労感が込み上げてきた。孤独に絡みとられている人間が二人いたからといって、行き着く場所が同じとは限らない。そんな当たり前のことすら、私にはわからなくなっていたのだろうか。私は情けなかった。みっともないとも思った。自分の甘さを流してしまいたい一心で、それから私は長い時間シャワーの水を浴びていた。
 
 

 
 
 単調で平坦な生活が繰り返された。 
 事務室は職員が少なく、普段話をする相手は後輩の向井くらいだった。職場では常に平静を振る舞い、余計なことも漏らさなかったから、私の生活がどのようなものかは誰にも知られていなかった。ただ、引っ越したことだけは当然、職場に伝えないわけにはいかなかった。向井は実家で暮らしていて、一人暮らしについてのあれこれをよく私に訊いてきた。彼女の「どうして引っ越ししたんですか」というごく当然の質問を、「ちょっと気分でね」と私は曖昧にかわした。
「部屋って、気分で簡単に替えるものじゃないと思いますけど」
向井は不思議そうに笑っていた。
 
 
 その頃、引っ越す前に暮らしていた部屋の夢をみることがあった。
 路面電車の走る区域にある、細長く小さな、三階建ての雑居ビル風の建物だった。一階は弁護士事務所で、二階と三階に賃貸の部屋があった。私の部屋は二階だった。同じ階の向かいの部屋には、途中まで三十代くらいの女が住んでいたが、いつからか越してしまったようで、それ以来、新しい入居者はいなかった。弁護士事務所の先生は気のいい老人だった。いつも眼鏡をかけ、一年中ジャケットを羽織っていた。笑うと優しそうな皺が増えるのが印象的だった。ビルの所有者も老先生で、建物の入口で顔を合わせると、ちゃんと三食食べているかなど、いい大人の私に対して、幼い孫を相手にするかのようにいろいろと世話焼きなことを言った。
 そのビルからほんの少し歩けば、路面電車の踏切があった。夕暮れにそこを通りかかると、静けさを遠慮がちに切り裂くような音を出して、ゆっくりと電車が走っていった。宮本と付き合うようになる前、あるいは、宮本に会えない日、寂しくなると、私は路面電車を求めた。そんなときには、意味もなく最寄りの停留所から二駅分だけ乗って降り、線路沿いをただ歩いて帰ってきた。
 狭い部屋で、路面電車の音を遠くに聞く夢だった。宮本が私の隣で寝息を立てている。が、すぐにその顔はぼやけてしまった。顔は次々に変わり、幼稚園の時分によく遊んだ子や、中学のクラスメイト、学生時代に付き合っていた男までもが、立ち現れてはすぐに消えていった。彼らは、それぞれ私に向かってなにかを言った。私を非難しているかのようなしどろもどろな言葉の数々だった。私はその相手に一人ずつ、帰ってください、と懇願するように声を絞り出した。
 起き上がると、いまの自分の部屋に目を慣らした。夢の中では、昔の部屋の様子はあまりに鮮明だった。耳には、路面電車の音がこびりついていた。しばらく、自分がどちらの部屋に存在しているのか区別がつかなかった。ベッドから這い出て熱い珈琲を飲みながら、なぜそんな夢をみる必要があるのか、自問するように夢の意味を考えてみるが、現れた人々の顔が再び浮かび上がると、珈琲の苦みが嫌な感触で舌の裏に残って、それ以上は記憶がぼやけていった。そうすると、代わりに、私は一階の弁護士の老先生を思い出すようにした。
 急に引っ越すことになったとき、彼はひどく残念がった。宮本が頻繁に部屋に来ていた頃、私のどこか浮ついて不安定な暮らしに、彼は気づいていたのだろうか。退去の際に、老先生には、新しいアパートメントの場所を伝えた。彼は住所が書かれた紙きれを目を細めながら眺めて、「そんなに遠くないところだね、まあ、元気でやりなさいよ」と言いながら笑い、細かなことはなにも訊かなかった。柔らかそうな皺でいっぱいのその顔は、夢の中の人たちとは違い、くっきりとしていた。
 
 そんな夢を時折みながら、一日一日が過ぎた。
 昔の小学校の校庭に吊り下がっていた遊具の太い紐縄を連想させる日々だった。幼い頃、あの縄にぶら下がるのが得意な同級生が少しだけ羨ましかった。力を込めて縄を握れば握るほど指の根元が押しつぶされて痛むのだが、それでも離すことができない。同じようにして、私は不器用に毎日にしがみついていた。
 何人かの男と知り合うこともあったが、その場の甘えに流されることはなかった。私は徐々に孤独に慣れていった。部屋と私の親密さも増したようだった。静まり返った部屋で夜中に頼るアルコールは、かつての役割から解放されつつあった。私の生活は不格好な形を経ながらも私に近づいているのだと、そう思いたかった。
 
 

 
 
 秋晴れが続く季節になった。
 私はクローゼットの中を整理し、薄手のシャツは衣装ケースに入れ、ニットやコートをハンガーにかけた。毎日の服装を選ぶ時間は、私にとってなくてはならないものだった。昔から自分の服に愛着を持ってはいたが、新しい部屋に越して以来、日に日にそうした気持ちは強まった。その日に着るべき服を見出すことで、私は自分一人の部屋と外の世界とを結びつけようとしているのだろうか。
 週の半ば、昼休みに向井が賑やかに私の格好を品評した。
「そのピアス、普段とは違うやつで上品ですね。服もシックな感じで、もしかして、今晩なにか予定でもあるんですか?」
あまり大きな声で誤解を招きそうなことを言うな、と心の中で舌打ちしながら、なんでもない風に素っ気なく答えた。
「なにもないわよ。なんとなく、今日はこういう雰囲気がよかっただけ」
向井の指摘は、思い違いだ。気に入っている濃い茶色のジャケットを羽織りたいがために、落ち着いたトーンで固めたに過ぎないというのに。秋物は着られる時期が限られている。ピアスも手持ちの中で一番シンプルで値段の高いものだが、ジャケットスタイルに合うと思って付けたのだ。そんな個人的なこだわりについて、後輩の向井に一々説明している自分を想像すると恥ずかしかったせいもあり、適当にあしらってしまったけれど。
 仕事中、私はあの部屋の服たちを想った。すべて、私のために買われて、丁寧に洗濯され、日ごとに選ばれている。爪を綺麗に整えることも、ローファーの革を磨くことも、自分のためだ。恋のために着飾るなんて、そんなもったいない真似はしない。私を安く見積もられては困る。私の服装がいつだって私を一人の人間にしてくれるということは、はっきりわかっていた。
 終業時間になって、事務室から職員用駐車場まで歩いていると、もう陽が沈みかけていた。暗がりの中で、ジャケットの袖の茶色の色味が黒に近づいて目に映ったとき、それでも、まだどこか寂しい自分を見つけてしまった。しかし、車に乗って夕闇の街を走り抜けながら、私は秋の日の傾きを祝うことにした。
 
 

 
 
 週に一度、私は母の家に通うようになった。
 母の家と言っても、私自身もそこで生まれ育った実家に違いないのだが、姉と私が家を出て以来、そこはもうまぎれもなく母の家なのだった。母の家は、隣の市にあった。私のアパートメントから、車で一時間ほどの距離だった。木造の小さな二階建てで、一人で住むには十分な広さではあったが、日当たりが悪く、薄暗い家の中に昔ながらの木材の匂いが漂っていた。その街は、鉄道よりも車が主な交通を担っていて、母の家は、市内の中心駅からは歩けば三十分はかかった。家の裏手には母の所有する土地があり、なかなか広い月極駐車場として貸し出していた。隣にはピアノの教室があり、夕方になると、子供が家の前の道を通っていくのをよく見かけた。
 
 県外で働く姉から度々連絡があった。
「あんた、母さんのところに定期的に顔出してあげてよ」
姉の帰省に合わせて、以前も年に数度は母の下を訪れていたが、一時期、脚を悪くした母は、思うように外出ができない日々が続いている間、ふさぎこみがちになった。
「買い物一つするだけで、もうその日はなにもできないくらいに疲れてしまうのよ、いやねえ」
姉はなかなか帰ってくるのが難しいということで、それから、休日には私が母の面倒をみるようになった。はじめは、代わりに買い物を済ませたり、日常的な家事の手伝いで手一杯だった。だが、通院を経て、随分脚の具合が良くなってからも、母の家に行くことは習慣として残った。それは、知らず知らずのうちに、母のためだけでなく、私のためにも必要だったのだ。ちょうど、私が新しいアパートメントに越した後の頃だった。
 
 母も私も、一人だった。私が孤独に爪を立てて過ごしていたときも、母は依然として穏やかだった。おそらく生きてきた年齢の違いなのだろうが、その諦めたような母の横顔を見ることはつらかった。暗い部屋で食事をする母の姿を想うと、自分を責め立てたい気分になった。気持ちに寄り添うだけで、一緒に暮らそうという話にはならないことに、多少の後ろめたさを感じないわけにはいかなかったのだ。それでも、私は私の生活を手に入れようとしている途上にいたために、なんの身動きもとれなかった。新しい部屋に移ったことを、私は母に、ぽつりぽつりと話した。
「あんたも、一人で大変よね」
「そんなこと……」
私よりもはるかに不自由な身であるはずの母からのその言葉は、どうにも居心地が悪かった。孤独の分量は、誰かと比べて変わるものではないはずなのだが。しかし、それを理解しているからこそ、母は私に共感してくれたのだろう。
 
 十一月の半ばだった。母の家に通うことは、もう、母のためだとか、私のためだとかではなく、互いに了解された日々の営みの一つになっていた。その日、私は母を連れて市民公園に行った。よく晴れた日だった。
「きっと、葉が綺麗だろうから、見てみようよ」
市民公園の銀杏並木の側を、母と私はゆっくり歩いた。疲れるから、と最初は渋っていた母も、外の空気は悪くないようだった。青空の下で落ち葉の感触を足の下に感じて、私たちは上機嫌だった。ようやく、誰かとの時間を私がこうして純粋に過ごせるようになったことが、嬉しかった。
 
 

 
 
 新しいアパートメントの部屋に越して初めての冬を迎えた。
 ある日の朝、それまでとは違うやさしい光が、東の窓のカーテンの隙間から入ってきていた。前の部屋でも母の家でも感じたことのない種類の温かさが、私の腕を照らし、その温度で目が覚めた。光の柔らかさに触れて、もう歪んだ形で孤独を誤魔化す必要がないことを、私はベットの上の陽だまりの中で知った。誰かに抱きしめられなくとも、誰かを抱きしめなくとも、まずはここから歩いていけるのだと思った。
 鼻先の空気が冷たく心地いい季節だった。
 

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