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本と連れだって

どこに行くにも、本を鞄にしのばせる。

誰かと飲む約束がある夜も、わたしは本を持って、いそいそと出かけていく。
では、それを読むのか。まず、読まない。

読まないくせに、家を出るときには、どの本がいいか、悩む。単行本は重い。新書の気分ではないな。文庫の小説にしようか、いやこれは寝る前にベッドの中で読みたい。ふむ、どうしよう。

本を持っていると、安心する。それに、万が一のためだ(なにが?)。
本が鞄に入っていないと、妙に不安である。荷物が軽くてどうも心許ない。

「積ん読」という言葉が、流行っているようだ。もちろんわたしの家の中も、本が山積みである。
それでは、外出の折にどうしても本を持たねばどうしようもない状態には、なんと名付ければよいのだろうか。小一時間唸ってみた(風呂の中で思案してみたのだ)が、ロクな考えが浮かんでこなかったから、もうやめにした。

旅に出るときも、本と一緒だ。共に旅をする。
少しは読むが、ちゃんとは読まない。この塩梅が大切である。
駅のホームで列車を待つ間に、ちょっと本を開いてみる。そうすると、なんだか格好がつく気がする。そんな俗っぽい理由であちこち連れ回される本の身になると、途端に申し訳がないのだけれど。
旅館の広縁の椅子で本を読むこともある。が、湯上がりにビールなんて飲んでいたら、すぐ眠くなってきて、のそのそと布団に寝転がってしまう。

要するに、わたしは集中力が散漫なのだ。どっちつかずの性格とも言う。

毎年のようにこんな調子だから、わたし自身はまるで進歩がないようだが、わたしの旅や外出にいちいち付き合わされる本たちは、表紙が少々くたびれたり、ページに折り目がついたりしていて、なにか言いたげに机の上なんかに置かれている。けれどまあそれも味があるなと、持ち主のわたしは呑気なものだ。

実家に数日帰るときにも、無論、本を持っていく。
年の瀬に帰省をする。読みたい本を何冊もスーツケースに詰めて。
年末年始は好きな本を開いてのんびりするぞ、となかなかいい意気込みである。
だが、実家というのは不思議なもので、むかし自分が読んでいた漫画が押入れにしまってある。なんとなく、それらを引っ張り出す。

そういうわけで、今日は、年越し蕎麦をすすり、『ワンピース』を読んだりしていた。


なんでもないはなし9


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