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そこにいたのは「私」そのもの。

教育実習のレポートを提出したついでに、
教育実習中の「喜怒哀楽」をここに残しておこうと思う。

先日岡山に行って、
感受性を「私そのもの」にしていたせいもあってか、
本当に、感じるもの全てをフィルターなしに100で受け取れたという
実感がある。

教員免許を取ろうと決めて良かった。
そして、3週間をやり切った。
そんな気持ちだ。


「喜」

やっぱり、3週間とは言え、生徒の変化や
ころころ変わる表情が見られるのは、「嬉しい」。

そして何よりも、
生徒が「自発的」に私に話しかけに来てくれたときが嬉しかった。

担当したのは中学3年生。
卒業アルバムの撮影がちょうど行われていた。

学年撮影で、少しけだるそうに並ぶ男子たち。

端で見守ろうとしていたら、
女子生徒が一人走ってきて
「先生も一緒に映りましょ!!!」と手を引いてくれた。

嬉しかったなあ。

紺色の制服に囲まれる
真っ黒なスーツ姿の私、

目立たないか少し不安ではあったけれど、
先生方も「入りな入りな~」と言ってくださって、

7年前の、眩しい気持ちを抑えながら
校舎の上のカメラを睨むように笑顔を作ったあの日。

まさか、またそんな気持ちを味わう日が来るとは。(笑)

他にも、昼休みに校庭から手を振ってくれたり
最終日に手紙を渡したら、その返事を直接言いに来てくれたり。

些細なことがすごく嬉しかったなあ。

「怒」

私が訪れている間、半ばにちょうど「合唱祭」があった。そこで、体育館の学年合唱の練習を聴いたとき、

「え?」と思った。

声が小さい。

やる気ある?????

なんなら、3年生?????

私たちの時もこんなだったっけ?

思わず、そうは思いたくない衝動に駆られた。

少なからず、そうだったとしても、
私たちのときは、当時の音楽の先生、
通称「千代ばあ」に、
「声がちいさアアアアい!!!!」と怒鳴り散らかされていたに違いない。

それなのに、学年の先生は特段歌には触れず。

「もうすぐなので気合い入れて頑張りましょうね~」的な
緩やかな感想でその場が終わった。

なんということだ、時代も変わったのだなあと
その時は心から思った。

それでも飛び入りの私に
何か出来ることはあるに違いない、

と、クラス合唱の練習では、
地声から歌声に持っていく声が大きくなる発声練習を取り入れたり、
生徒に負けじと後ろからデッカい声で歌ってやった。

生徒に求めるなら、私から始めなくては。

そんな気持ちで向き合った。

教育実習中、

先生方は、
「このクラスは大人しいんです」とか
「この学年は作文が苦手で・・・」とか
仰っていたけれど、

どこまでが謙遜なのだろう。

発声法を取り入れた後の、一段と大きくなったみんなの声や
15分で作文を書かせたら、升目は大体埋められているみんなを
見て、

相手が生徒であろうとなかろうと

「私は目の前の人の可能性を信じ続けたい」

そのために、まずは私が自分を信じてあげなくちゃ、と
改めて思ったりした日々だった。

「哀」

「哀」はあんまり無いと言いたいところだけれど・・・
強いて言うならば

やっぱり厳しい先生が減ったことだと思う。

若い先生が多くて、
若い先生は比較的生徒との距離感も近いように感じた。

でも・・・

「教育」ってやっぱり優しさだけじゃないよ
って、自分の過去を振り返っても思う。

だからこそ、実習中、
「愛」を持って鞭が打ってくれた先生が懐かしかった。

もう一つは、みんな給食を食べるスピードがはやい!!!(笑)

置いて行かれて、え?もしかしてぼっち??
みたいなシーンが多々あったが、
中には私に併せて片づけを待ってくれる生徒もいて
優しさに心がジーーンとなった。
生徒に気遣われる実習生。。。
ありがたや。

「楽」

たのしい、、かあ。

うーーん。

楽しい。

振り返れば、楽しいって思った瞬間はあまり無かったかも。(笑)

でも、3週間でもみんなに「愛」が湧いた。

だから、これを1年間、何十年間もやっていく先生たちは

本当に、「無償の愛」を持っているし、
ハンカチが足りない人生だろうなあ。って思った。

ここが私の「原点」だった。

最後に、私の学生時代に出会った先生の話をしたい。

悲しいことに私の印象に残っている先生は、

「褒めてくれた」「優しくしてくれた」先生じゃなくて
私を、バチクソに怒ってきた先生^^

本当に厳しかった。

中学の先生は、
修学旅行で持ってきたリンスを使ったら、
ルール違反!関わった全員の先生に謝れ!!という感じで
(まあこれに関しては決まりをあまり把握せずに使った自分も悪い)

生徒会の資料作成も、スピーチも、
1回でOKを貰ったことなんてない、

そんな感じ。

高校の先生は、
英語で赤点取った私に
「有名大学行かないと、マジで人生詰むぞ」的な
モラハラ発言をしてきた。
(このあと学校行かなくなった)

ここだけ見ると本当に問題児。(笑)

だけど、なんだか、ここが私の原点だなあって。
先生に反骨心持って、メラメラ燃えていた時の
自分の生きざまが
そのまま、まるっと、今の私でしかないなあ
とやっぱり思う。

先生を睨んだり、
学校に行かなかったり、
って私なりの自我の防御だったんだよなー。

よく、
「よくそこまで自分と向き合えるね」と
言ってもらうけれど
自分に向き合っている感覚はあまりなく、
ただただ、「自分を守りたい」という防衛本能が強いんだと思う。

あまりにも「人間らしい」よね。

生徒会長や不登校児といった
一人で強風に当たらなくちゃいけない立場を
学生時代に経験したからこそ、

自分がどうしたいか
「自分で自分の舵を取る。」
そんな思考になっていったのだと思う。

だって、
先生も大人たちも
だれも責任取ってくれないもん。

私がどうなろうと。

だったら、好きに生きようよって。

壁にぶち当たりまくっては
泣いて、それでも歯を食いしばって生きてきた

私の原点が、この学生時代にあるなあと

教育実習中に感じた。

「人と向き合うお仕事」

「人と向き合うお仕事」において、
何が必要だろうか。

スキル?経験?愛?

私は、今まで自分が「人に向き合うお仕事」をするに
値しない人間だと思っていた。

なぜなら、「スキル」が無いから。

だから、心理学とか、
脳科学とか、
もっと知識を蓄えてからでないと、
もっとスキルを磨いてからでないと、

人には向き合えない。
そう思っている節があった。

教育実習に行って思った。
それは大きな「勘違い」だった、
ということ。

人は、あくまでも「自分の跳ね返り」でしかない。

だから。

「弱みをさらけ出してほしいと思ったら、
自分から弱みをさらけ出す。」

「こう生きてほしいという願いがあるなら、
私がそう生きる。」

そんな、自分の在り方、生き方でしか
所詮、人や人の人生には向き合えない。

だから、
私は願いを常に私から体現する人であろう、
と改めて思った。

それってすごく難しいことな気もするけれど、
意外とシンプルな気もする。

とりあえず、くよくよ考えるんじゃなくて
やってみるしかないね、何事も(^_-)-☆


そんなこんなで、たくさんの学び、気づきがあった教育実習だった。
中学校に行って、
過去の自分と、今の自分を見つめ直すことが出来て、
過去があったから今がある、
今があるから、未来がある、と思えた。

自分を信じてあげられる自分でいようね。
自分に嘘をつかない自分でいようね。

いつの時代だって葛藤して生きている自分に
エール。

どんなときも

最後に、久しぶりに聴いたらめっちゃいい歌詞やん。
となった、私が中学3年生の時のクラスの合唱曲
槇原敬之の「どんなときも」の歌詞を載せる。

僕の背中は 自分が思うより正直かい
誰かに聞かなきゃ 不安になってしまうよ
旅立つ僕の為に 誓ったあの夢は
古ぼけた教室の すみに置き去りのまま
あの泥だらけのスニーカーじゃ 追い越せないのは
電車でも 時間でもなく 僕かもしれないけど

どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために
好きなものは好きと 言える気持ち 抱きしめてたい

どんなときも どんなときも 迷い探し続ける日々が
答えになる事 僕は知ってるから もしも他の誰かを
知らずに傷つけても 絶対譲れない 夢が僕にはあるよ

昔は良かったねと いつも口にしながら
生きて行くのは 本当に嫌だから
消えたいくらい 辛い気持ち抱えていても
鏡の前笑ってみる まだ平気みたいだよ

どんなときも どんなときも ビルの間 窮屈そうに
落ちて行く夕陽に 焦る気持ち 溶かして行こう
そしていつか 誰かを愛し その人を守れる強さを
自分の力に 変えて行けるように

どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために
好きなものは好きと 言える気持ち 抱きしめてたい
どんなときも どんなときも 迷い探し続ける日々が
答えになる事 僕は知ってるから

https://www.youtube.com/watch?v=Uo6JkQznzkMの概要欄よりコピー

「好きなものは好き」。
大事だね、その気持ち。

それが正直に生きる、のはじまりかもしれない。

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