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21歳の備忘録

2003年生まれ。満21歳。
今までの人生中々波乱だった。第三者から見たら、聞いたら「あぁ、そんなことか。」
けれど「そんなこと」の5文字で纏められたくない。

私よりも濃い人生を送った人も、悲しい、辛い、嬉しい経験した人も数え切れないくらいいるだろうが、ただの21歳の独り言だと思って聞いて欲しい。


幼少期はなんとも言えない、そこら辺にいる普通のちびっ子だった。特に目立ちもせず「将来はプリキュアになるんだ!」と夢見てた普通の女の子。私の世代は「ふたりはプリキュア」だった。

小学校に上がって、初めてのランドセルに心弾ませて毎日楽しく友達と遊んで普通の小学生だった。ここまでで「普通の」とは言ってるが生涯普通の人だ。特に特別でもなんでもないただ1人の人間であることは承知しておいて欲しい。

人生が変わったのは小学校3年生。
当時初めてのクラス替えをしたばかりの4月。
全校集会に行くために背の順で並んでいた時だった。私は小学校3年生ながらも背は人並みに大きい方で背の順は後ろから2番目。
その1番後ろの私よりちょこっと大きい女の子からいきなり声をかけられた。
「ねぇ、バスケやろうよ」
この一言のおかげで後に私はその子とは高校生まで一緒にバスケにのめり込むことになる。

その小学校のクラブチーム、いわゆる社会体育。
人数もそこら辺のクラブチームより人数が多く、強いチームだった。
コーチは具志堅用高に凄く似ていて怒るとツノが見えるほど鬼みたいなコーチ。
「なんてとこに入ってしまったんだ」
ってのが一番の感想。
小学校3年生ながら大人の怖さを思い知った。

私の同級生は自分含め8人。
個性豊かな子ばかりで同じような性格は一人もいなかった。だがそれもバランスもちょうどよく取れていて仲良く仲良く過ごしていた。
元々負けず嫌いな性格で、他の7人に負けたくなくて毎日毎日一生懸命練習した。
コーチに怒鳴られながらも、理不尽なこと言われながらも頑張った。
この時の苦労はバスケ人生の中で2番目に辛かった。

だけどこの小学校生活のおかげで、大人との話し方、あいさつ、人としての基本的な部分を大変学んだ。
だって具志堅用高が怒るから。
冗談はさておき、この小学校のバスケ生活が無ければ間違いなく私はグレていただろうに。
これはまた後ほど話そう。



#想像していなかった未来

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