絶賛人生迷子
小さい頃から、おままごとが好きで。
それを聞いた親戚が、
管理栄養士になるのがいいよと言った。
それが、ずーーっと頭に残ってて。
それ以外の
将来の夢
なんて考えたこと無かった。
有名4年大学に入れるほど頭も良くなく。勉強も嫌い。
成績も下から数えた方が早かった。
が、まあ、なんとか国試に受かり、免許取得。
管理栄養士と、名は一つでも、働く場は幅が広い。
保育園、学校、社食、研究職、病院、商品開発、スポーツジム、公務員。
本当に沢山のお仕事が出てくる。
就職活動中は調べた就職情報を見て、これだけ幅があるプロとしてお仕事ができるかと思うと、誇らしかった。
おばかな私でも、病院でバリバリに頑張りたいと思っていた。勉強が嫌いでも、仕事で必要になれば嫌でもやるようになるだろうと。
授業の臨床は嫌いでは無かった。患者さんの病態に合わせて食事や経管栄養を考える。本物の患者さんを目の前にして、治療の一環として食事を提供できる。
かっこいいなと。
けれど、ばかな私が急性期に行けるとは思っていなくて。就職試験を受けるのも、よくこんな成績でうちに来たな。とか、思われるんだろうなと変な想像をしていた。履歴書を送るのが、怖かった。
とにかく、自分に自信が無かった。
選んだ職場は病床数大多めの慢性期病院。
決め手は、採用人数が多くて、受かりそうだったから。病院って管理栄養士職の中では花形ポジション。
(と、勝手に思っている)
倍率は驚くほど高い。
(特に地方は)
早めに職場を決めて、国試の勉強に集中したかった。
と、言うのは建前で、就職が決まらない不安から逃げたいのと、就職活動が面倒になったのが本心。
直営の病院だったので、一年目は厨房業務と言うのは聞いていた。大量調理も良い経験になると思っていたし、現場作業できてない口だけの管理栄養士とは思われたくなくて、当初は厨房業務に意欲的だった。
1年目で、社会人としての常識がない。当たり前の行動ができない。散々陰口も言われた。
正直、人員不足で残業も多くあり、新人教育は十分とは言えなかった。けれど、仕事出来ない自分が悪い、出来るようになったら言われなくなるだろうと、自分を責めてただ耐えた。
自分にしか出来ないことをしようと、誰も掃除しない場所を空き時間を使って懸命に掃除した。
褒められたくてやっているつもりはなかったけれど、誰も褒めてくれる事は無かった。
2年目で、そろそろ病棟管理や栄養指導ができるようになるだろう。と思っていた。
ならなかった。
任されるのはずっと現場。
つまり、調理、下膳、調理、下膳、の繰り返し。
この頃には、国試であれだけ勉強していた内容は頭からすっぽ抜けていた。
もったいない。知識を実践で使えれば、あのまま身に付いていたかもしれないのに。
これは、言い訳だ。自身で勉強し続ければ良かっただけな話。けれど。けれど。
どうせ、勉強したところで使わない知識か。
参考書を開かなくなった。
お休みの日に通っていたセミナーなんかにも行かなくなった。
どうせ、病棟には上がれないし。
労働環境も悪く、どんどん人が辞めていった。
人が少なくなれば、私の新人教育も進まない。
病棟管理業務はますます遠のくばかりであった。
そして、2年目の終わり。
栄養指導に少しだけ行けるようになった。
でも、思っていたのと違う。
根拠のある話をしなければ、相手を不快にさせないか、怒らせないか、間違ったことを言っていないか。知らない事を聞かれたらどうしよう。
不安ばかり募って。やりがいを感じるどころではない。
上司も先輩も信頼できる人はおらず。
転職を考えた。
中途半端な大量調理(料理を作るのは得意だが、大量調理が得意とは言えない)、新人と変わらない程度しかできない栄養指導。管理計画書はまだ書けない。
中身が無さすぎた。
転職出来るだけの管理栄養士のキャリアも無かった。
ここまで来てふと思ってしまったのだ。
どうして管理栄養士になりたかったのか。
給料が高い医療職なら他にもいくらでもある。
調理がやりたいなら、調理師やパティシエになった方が人を喜ばせられるだろう。
今日も人のために頑張った。
って、自己満足で満たされて、しんどい体をお布団の中に入れてぐっすり寝たいのだ。
毎日不満を持って、辞めたいなと思いながらしている仕事のどこに楽しさ、やりがいを見出せば良いのか。
自分の好きなアニメや、漫画に関わる仕事にしてみようか。好きこそ物の上手なれって言うし。
けれど、本当にそれで、生活できるのか。
管理栄養士免許を破り捨てる勇気はあるのか。
全く違う職業についてみたい。
免許が枷になっているような気もする。
が、学校に通わせて貰った親に申し訳ないという気持ちが生まれる。
ここで、今の現実から目を背けて逃げたら、
逃げ癖がついて、転職してもこのまままともな人間じゃなくなるのではと思う。
春から社会人3年目になる。
まだ、3年目なのか。
もう、3年目なのか。
中学生の頃に想像していた、24歳の自分はこんなにもぐらぐらしていて、精神年齢が低いとは思っていなかった。世間では大人と言われる年齢。
でも、自分が大人だと思ったことは一度たりともない。
社会人になって思ったこと。
一つ、大人(中身は子供)が山程いる。
大人なのは外見だけで、中身は大人じゃない大人が当たり前のようにいる。そして、中身が子供である大人ほど自覚がない。そんな人は、そっと距離を置く。
一つ、自分の価値観や広い視野、客観性を大切に。
自分の常識を、この世の常であるかのように押し付けがましく、常識だから。と、強要を強いてくる大人がたくさんいる。そんな人のお話は、謝る素振りと、相槌をして、話の内容は記憶から消す。言われた言葉の大切と思ったところだけ頭の片隅に留めておく。
一つ、自分で自分を褒める。
優しい大人に巡り会えなかった場合、プラス要素のお褒めの言葉は基本無い。
ただただ、ミスや効率の悪さの指摘を頂く。
昨日の自分と比べて少しでも進歩があれば十分偉い。
というか、出社しただけで偉い。
一つ、時間をかけた100点より、効率の良い70点を。100点にこだわりすぎて、時間やコストがかかる事はあまり良しとされない、ということ。程々に良し。を目指す。
一つ、無駄なプライドを捨てる事。
信念や自分の中で譲れない正義からくる考えは、宝物みたいにそっと心に仕舞う。年齢や経歴から現れる人を圧迫するプライドほど邪魔になる。これに気付かず、コミュニケーションの壁としても立ちはだかってる大人は少なくないと思う。
まあ、こうして、自分自身に大人より大人だな。偉いって毎日言い聞かせては、頑張って社会人をやっている。
人生に引かれたレールなんてないから、
絶賛迷子というよりは、
生まれた時からずっと迷子
の方が合っているのかもしれない。
失敗して落ち込んだ日も
怒られた日も
ありがとうの言葉をもらった日も
泣きながら帰った日も
遅刻した日も
頑張ってる。頑張ってます。
だから、うまくいかない自分を責めないで。
そういう日もある。
良くやった、偉いって。褒めてあげて。
良く頑張った、そんな貴方にはなまるを。
今日も一日お疲れ様でした。
お休みなさい。良い夢を。
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