ようやく融合した

「心の世界(無意識、非日常)のスピードと、現実の世界(意識、日常)のスピードは、違って動く」と、初回面談で聞いていた。

ここ数日(かな?10日くらい?分からない、早すぎて時間感覚すらもてなかった)の心の世界のスピードは、あまりに早すぎて、初めて追加セッションを検討するくらいだった。ちょっとあまりに深い層まで潜った感がある。途中、noteの友人達からコメントを頂けたのは、「深海から生きて帰ってくる」上で本当に助けになった。改めて感謝です(><)

精神分析なり、分析心理学なり、分析家の資格を得るには、300時間以上の個人分析、教育分析を受けると聞く。

私が体験したこの数日間が、先生方のそれと同じ体験かどうかは分からないけど、「心の最深部にまで潜る(無意識の深淵を覗き込む)」取り組みは、下手するとひとを狂わせかねないな、と思うほど、大変な数日間だった。

ここで、狂わずに帰還できた者に、分析家としての資格、称号が与えられるのだろう。

でも、私の人生のカラクリが、パズルのピースをはめるように、パツーンパツーンパツーン!とはまっていって、苦楽しい(苦しい+楽しい)時間でもあった。

「終わりのない」ひとり遊び、永遠に続く没頭が許される領域。「こころ」は広くて深く、一生かかっても全てを見て回ることはできないだろう。没頭傾向のある私が没頭を許され、飽きっぽい私が、飽きずに取り組めそうな、そんな領域だ。

2020年1月、精神分析のせの字さえ知らず(本当は、小学生の頃に読んだ本、大学の講義、大学院の研究科、などでたびたび登場していたトピックだったけど、その記憶、人生を流れでみる術にアクセスできる自分じゃなかった)、最初の精神分析家と出会って、「精神分析のできる心理療法家」なんて大それた「夢」を描くようになるとは頭では考えてもなかったけど、いまは、ここに行き着く物語だったようにさえ感じるようになった。

「もっとゆっくりやろう、I want to enjoy this Prosess more slowly.」と思うだけで良かった。

私の中の「ゆっくりした音」と「早い音」は、その途端に融合し、ひとつの球体になった。

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私の持つ、理性と感性、女性性と男性性、アニマとアニムス、混沌と秩序、善と悪、美しさと醜さ、愛と憎しみ、熱さと冷たさ、etc...

ありとあらゆる、相反する音が、ひとつの球体の中に内包され、溶け合って、一滴の水滴となった。

大変な数日だったけど、「これ、生きて帰ってこれるかわからないな」くらいのおっかなさも感じつつ、こころに委ね切るような身体感覚で、取り組んでよかった。

興味深いのは、上述のイメージは、私が以前「ちょうど良い協力的な人間関係」に見える波形として書いたイメージと全く一致していること。

個としての人間の中でも、「個と個」二者関係の間でも、融合や協力、そういう安定した雰囲気、を、共感覚は音や形で私に伝えてくれるのかもしれない。



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