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「空が青だ」と言ったとき、見てる色は本当に同じなの?

小学1年生のとき仲が良かった子は、音の速い子だった。

「音が速い人」、だなんていうと、「なんじゃそりゃ」となるだろうが、どうして音が速いのかを自分なりに分析してみると、

・歩く速度が速かった(下校時追いつけなくて、よく「もっと速く歩いて!」と急かされた)

・走る速度が速かった(運動会のリレー選手に選ばれた)

・ピアノの習熟度が速かった(私よりはるか先の教本に進んでいた)

・受け答えが速かった(何か質問しても、すぐ返事が返ってきた、何事もすぐ決断した)

・いつも早く家に帰ろうとしていた(道草もしないし、ほとんど競歩みたいな速度で帰宅を急いでいた)

・シンプルに、早口だった

あの友達の性格上のスピード感を統合して、6歳の私は、「音が速いなー」と思っていたのかもしれない。

対して私は、「音が遅い」方だった。歩く速度も、ポテポテポテポテ歩いて、道端の草花やアリの行列やなんかに心を奪われてよく立ち止まってしまった。

リレーはびりっけつだし、ピアノも一曲を仕上げるのに何ヶ月もかかった。

学校の授業では、先生の指示や集団行動の枠組みがよく分からずに、「何か、見えない枠があるみたいだけど、明確には教えてもらえない。他の人は見えない枠からはみ出ないのに、私は気がついたらはみ出ているから、怖い」と思っていた。(幼稚園が国内のインターナショナル幼稚園で先生がハワイ出身の英語話者だったことや、新設の私立幼稚園内で、教育方針が日本の公教育と異なっていたことも大きな要因にあるだろう)

でも、「速い」と「遅い」の音の組み合わせは、相互補完的に、「いい音」になるので、私はその友達と一緒に居るのが大好きだった。

共感覚者の多くは、幼少期に自分の共感覚体験について語って、周りとのズレを感じたり、おかしいことだと非難されたり、話が通じなかったりして、自分の共感覚体験を言語化することを諦め、内々に収めてしまうパターンが多いそうだ。

(そして、大きくなってから、何かのきっかけで自分の感覚が他者とは違うことを知り、驚愕する。海外の共感覚グループでは、たびたび「何才のときどんなタイミングで、自分の感覚に名前がついてることを知った?」という質問が出されるが、10代以下は稀で、20代や30代、、60代〜も少なくない。最近では教育現場での共感覚の認知度が向上した為か、学校で習ったとか、子供に共感覚があると気がついたという保護者の方も多いみたいだ)

私の場合、6歳のとき、この「音の速い」友達とのあるやりとりが、その後30年間に渡る、共感覚体験の沈黙、への決定打となったと思う。(夫には、「音がしない人だった」や「音が綺麗な人だった」と感想を述べていたみたいだけど、当時の夫は、特に疑問も持たずスルーした)

小学校にある百葉箱の音が、好きだった。毎日、百葉箱の音を聞いて帰るのが日課だった。耳から聞く音と、頭の中で響く音の区別がついていなかった。(今もその類の音はある)あまりに心地良いこの音は、どこから出ているんだろう、と、いつも音の出所を探していた。 

もちろん、その友達にも、聞いてみた。

「ねぇ、この箱、いい音だよね」

友達は足早に通り過ぎながら答えた。

「音?!聞こえないけど!それより早く帰ろ!」

むっとした私は、何日も音の出所を探した。百葉箱に耳をくっつけてみたり、百葉箱の周り探してみたり。

ある日、ついに百葉箱の中に置かれた機械に気がついた。思い出してみると、百葉箱からは「とん、とん、とん」と柔らかな丸い音。機械からは、「ジ、ジ、ジ」と硬いカクッとした音がかすかにしていたんだけど、(今でも疑問なんだけど、機械から聞こえた音は、本当に聴力で聞こえる方の音なのかな?誰か教えて!💦)まあいいや、たぶんこの黒い機械から音がしてるんだ、と結論づけて、友達を呼んだ。

「ねぇみて!やっぱり音してるよ!だってここに機械があるもん!」

友達はつまらなそうに近寄ってきて、百葉箱の扉の隙間から中にある機械をじっと見つめて言った。

「、、、やっぱり何も聞こえないよ!早く帰ろ!」

がっかりした。おかしいな、音が小さいからかな、もしかしてこの子耳悪いのかな、、、大好きな友達と、大好きな音を共有したかった私は、ポテポテと歩きながら、その友達を追いかけた。

どうして、私には聞こえる音が、この子には聞こえないんだろう?と、何日も考え続けた。

「自分にしか聞こえない」という発想は、全くなかった。共感覚体験は、そのくらい、はっきりとした感覚なのだ。周りの人と自分の知覚にズレがあるだなんて、思いつきもしなかった。(36歳になるまでそうだった)

結局答えは出なかったが、悔しかったんだろう。ある晴れた日の帰りがけ、私は、頭の中に広がる問いをなんとか捕まえようとしながら、ゆっくりとその友達に尋ねた。

「ねえ、いま、空は何色に見える?」

「青だよ!」

「青だよね、私にも青に見える」

「だって、今日は晴れてるもん!青に決まってるでしょ!」

と忙しくたたみかける友達に、私は勇気を出して尋ねた。何日も前から、聞きたかった質問だ。

「でもさ、もし、私が見る青が、◯◯ちゃんの見える緑だったとして、◯◯ちゃんが見る緑が、私の見える青だとしたら?空をみて、2人とも、青って言うけど、本当には、私に見えてる色は、◯◯ちゃんの緑かもしれないじゃん!!」

いま思い出しても、相当質問の仕方が難しくて、なんて言えば伝わったのかは分からない。一回では意味が通じなかったので、晴れた日と曇りの日の空の色、信号機の色やりんごの色、ブドウの色、なんかを引き合いに出して、2人が見ている色が違っても、呼んでる色が同じなら、見ている色の違いに気がつけない、という話をした。

あのとき私が言いたかったことは、体験の違い(百葉箱の音が聞こえるか聞こえないか)があっても、その体験(百葉箱には音がある)がないことにはならないじゃないか、と言う訴えだったんだと思う。あなたに百葉箱の音が聞こえないからと言って、私の「百葉箱の音が聞こえる」という体験を否定はできないですよね、と6歳ながら、自分の知覚が嘘ではない、と必死の訴えをしたのだろう。

さて、数日ごしに頭を悩ませた質問の意図がようやく伝わったものの、友達の答えはアッサリしたものだった。

「ふーん、、、。そんな風に思ってみたことなかった!◯◯ちゃんって不思議〜。変わってる!早く帰ろ!」

大好きな友達と、大好きな音を共有できなかったばかりか、自分の体験がさもないものかのように扱われ、思い切って抗議しようとしたら、不思議チャンに位置づけられた、、、。

相当にがっかりし、ふてくされ、以来私は、音の知覚は内々に留め、不思議チャンとして扱われないように慎重に対人関係を構築してきたような気がする。

この話を精神分析家の先生にすると、「でも、その友達はある意味、とても正直でしたね。だって、その子には、百葉箱の音が聞こえず、空の色が青ではないかもしれない、と疑問に感じたことはなく、6歳の子にとっては、不思議な考え方だなと思ったんでしょうから」と言った。

あの日の私は、人から音がすることを精神分析家の先生に打ち明けたばかりで、私が自分自身で在ろうとしたとき、他者から感じる「隔たり」の音で、いかに自分がひとりぼっちで寂しい思いをさせられてきたか、と他者を責める自分だったから、先生の言葉にいまいちピンとこなかったけど、今になって先生のこの一言が段々と、別の意味を帯びてきた。

そっか。他者もまた、私と同じように世界を知覚する必要はないのだ。

私には、百葉箱の音が聞こえるが、他者には百葉箱の音が聞こえない。

他者に「百葉箱の音が聞こえる私」をあるがまま認めて欲しいと願うなら、私もまた、「百葉箱の音が聞こえない他者」をあるがまま認めなければならない。

私は他者ではないし、他者は私ではないのだ。

「空の色は青い」。だけど、見ている「青」が、誰かにとっては緑や赤であるかもしれないのと同じように、世界をどう知覚して理解して生きていくかは、ひとりひとり異なっていて、違いそのものは、ただそこにあるものとして、互いに否定も非難もせず、認め合うしかない。

精神分析家の先生は、6歳の友達の言動を責める私に、「その友達は(あなたを否定するつもりはなくて)正直だった」と伝えることで、私の憤りの方向性の無益さを指摘してくれたように今は思えるようになってきた。

【追記】

私の精神分析家の先生(療養中で再開の連絡待ち。先生の病状を知る支援員さんからは、「いま懸命なリハビリ中」だと聞いた)の夢を見た。

夢の中で私は、

「先生、生きてるだけじゃダメなんです!生きて、戻ってきてくださらないと!!私、先生とまた対話を重ねていきたいんです!大変でしょうけど、頑張ってくださらないと、私が、困ります!!」

と訴えていた。泣きながら目が覚めた。

夢の中では、「現実では生きられなかった自分」が生きている、と言う。

本当には私は、早く先生に会いたい、と思っているし、先生が居なくても1人でもやっていけると思っていない。先生が、回復して戻ってきてもらわないと、私は、困るのだ。

「あなたがいないと、私は困ります」

こういう、信頼の在り方を、「依存」的で、いざ相手がいなくなったときの不安定さに繋がりかねない、と避けてきた。

でも、本来、それぞれが特有の孤独や寂しさ、困難を内包しながら、それでも互いに関わり合い生きていくのが人間なら、

「あなたがいないと、私は困ります」

の関係性を、たくさんの人と築いていくことを、私は欲しているんだと思う。


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