過ぎていく

死にたいわけじゃないけど、外の世界に行きたくない。やらないといけないことはたくさんあるのに、なにもしたくない。
布団から出られなくて、ただただ時間が過ぎていく。SNSを開けばみんなどこかでなにかして、なにかを感じている。きっと「みんな」はストーリーやらいいね欄にわたしがいても、もう顔も苗字も覚えてないと思う。
なにもする気力はわかないのに、お腹はすくし、眠気もある。「生活」はしていることに気づいて、今日なにも生み出せなかった自分は、周りから置いていかれていると感じる。
努力をすれば必ず報われるものじゃない。大人になるというのは、「諦める」を理解して出来るようになること。
あまりにも小さなときから夢を持ちすぎた。所々抽象的で、でも間違いなく大人に話せば「実現可能」と受け取ってもらえる夢だった。ここまでの人生が上手く行き過ぎたんだ。
人より完璧主義で、空気を読むことも、学業も実はちゃんと頑張った。でもそれを周りに見せないよう努力した学生時代。器用になった分、必要最低限の脳みそしか使わなくて済むように効率を求めすぎた。自分のやりたいことや気持ちは二の次で、周りに求められていること、それを追求した結果がこうだ。
「わがまま」は幼稚園に捨ててきた。当時は友達だと胸を張って言えた「みんな」とクレヨンでたくさんお絵描きした園舎は、わたしが卒園と同時に取り壊された。新しく建ったコンクリート調の園舎の基礎がわたしのわがままを踏み潰してくれた。
今更取りに戻ることはできないから、今後一生わがままでなにかすることはないと思う。それに、大人はわがまま言っても叶えられないと諦めることが出来る存在なんでしょう?

会社に入ることを目標にしてはいけない、そんなのは頭ではよくわかってる。でもわたしは器用だから、きっと、どの会社に入ったって上手く立ち回れる。なら会社が目標だっていいじゃない。多様性を語るなら、社会の流れについていけないわたしでも殺さないでよ。

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