本当に今更の話をしたい。未練タラタラではないはずだけれど、どうしても元彼の存在が頭から離れない。なんとなく一緒に居たときの記憶は薄れてきているし、思い出そうとする自分を強制シャットダウンさせて中断させる癖がついたから、別れたことを引きづってるわけじゃないと思うんだけども。 わたしがこよなく愛するBLを読んでいて、ふと頭に過ったことがある。「彼がわたしのこと好きだった」という前提を不思議と絶対的なものだと過信していたけれど、それって違ったのかもしれないということ。 相手も同じ
留学から戻ってきてすぐに就活を意識し始めてから早1年以上が経過してやっと、就活を終えられそうな2024年5月上旬。この状態が世で言う「納得就活」なのかはわからないけれど、とりあえずここまでの1年間に感じたこと・考えたことをここにつらつらと書き残しておきたい。 いつかこの文章を読み返すときに「ああ、こんな風に考えてたんだな」ってわかる程度には読みやすいものであるように心がけることにする。 <プロフィール> 25卒。エンタメ業界しか見てないロマン就活生。 国立文系でガクチカはゼ
親から適切な愛情を受け取った記憶はない。 こんなことを口外するつもりは毛頭ないので、ここに書いてみることにした。絶賛就活中(?)で病みまくってるわたし。かなり前に最悪だったメンターに言われて書いた自分史を読み返してみてまた病んだ。 人生において楽しかったことがなにもない。こんな考え方になってしまったのは親のせいにしたい。昔から、「わたし」だからよくできた、とかそういうことで褒められた覚えがない。なにをしてもできて当然、そういう対応だった。 だからわたしは人一倍プライドが高く
わたしは弱い。なにが弱いか?なにもかもだ。 なにが人よりも劣っているのか、それすらもはっきりと言語化できない。でもこれだけはわかる。自己肯定感は人よりも低いだろう。 なら、弱いということをわかっていることは、強さになるのか?答えは否である。 就職活動ごときで、ここまで精神論を語っているやつは馬鹿だと思う。 どうしてこんな人間になってしまったんだろう。これまでの人生、なんの悔いもないように一生懸命に生きてきた。人に自慢できるくらい、いろいろなことに挑戦して、たくさんのことを
「宗教」という言葉を聞くだけでなんとなく物怖じしてしまう人って少なくないと思う。わたしもその一人だった。 自分の知らないことって、こわい。知らないから、何を言っていいのかわからない。相手にとって失礼に当たることを言ってしまうのではないか。そういう怖さだ。 たしかに、世界的に悪さをしている宗教集団っているし、数年前なんかは新興宗教の存在が日本中で話題になった。そういう宗教を信仰していない人からしたら、「あんな宗教を信じる奴は馬鹿だ」そう言ってるんじゃないかな。 高校生の倫理
好きなものは好きなもののまま、どこかにしまっておくのも、時には大切なんだって学んだ。好きすぎて、そのために生きてしまうと、それのせいでうまくいかなくなってしまったとき、立ち直れなくなってしまうから。
人間みんなが自分に興味を持ってるとは思わない方がいい。 わたしなんて、就活を始めるまでテレビ番組のスタッフロールやら提供の文字は画面の中で一番邪魔だと思っていた人間だ。非常に最低だと今ならわかる。 誰が作ってるのか。そこってかなり重要なわけだ。 それに気づいてからは映画のスタッフロールも本編並みにじっくり見ている。 へぇ、こんなに大掛かりな映画だったのに、ここには1人分の名前しかないんだ。どんだけの仕事量を一人で抱えてたんだろう? あれ?ちょっと待って。会社も結局こんなんじゃ
どうしてもガクチカなるものが書けなくて、約1週間が経とうとしてる。本当にだめな1週間だった。死にたいのに死ぬのが怖くて死にきれない。ずっと寝ているだけの屍だった。 でもいいこともあった。大学の今学期の成績が過去最高に良かったこと。めちゃくちゃに頑張ったゼミは3つとも最優秀をもらえた。わたしにとっての「頑張る」ってなんなのか、もうわからなくなっちゃったけど、他人から「よくがんばりました」の評価がもらえることは嬉しい。その瞬間のためだけに生きてるまである。 さて、なんでここに
このnoteをはじめたきっかけのひとつには、「自分の気持ちの言語化を上手にできるようになりたい」というのがあった。それなら、昨日の失恋をここに残さない理由がない。 まだ気持ちの整理がついていない部分、わかっていた部分、いろいろあるけれど、とにかく書きながらまとめられたらいいと思う。 2023年12月25日夜、2年半とちょっとお付き合いした1つ年下の男性とお別れをしました。記念日はわたしの誕生日。別れたのはクリスマス。なんとも忘れにくい数字と思い出たちを残してくれた初めての彼
自分はかわいそうじゃない、頑張りきれてないだけ。そう言い聞かせてぎりぎり生きることになんの意味があるのか。
亡くなった人を神聖視する社会の流れは好きじゃないけれど、今回ばかりは自分がそれにあてはまってしまう。自分のプライドを許してあげたい。 少し年上のお姉さんがつい先日、自分なりの幸せを追い求めることを辞めて、この世を去った。双極性障害に悩みながらも、自分が素敵だと思った考え方や生き方をシェアしてくれていたインフルエンサー。元々は普通の女の子で、少し周りの人より行動力があって有名になったけれど、なんとなく思考回路だったり価値観が一般のわたしたちと同じで、すごく親近感があったし、憧
死にたいわけじゃないけど、外の世界に行きたくない。やらないといけないことはたくさんあるのに、なにもしたくない。 布団から出られなくて、ただただ時間が過ぎていく。SNSを開けばみんなどこかでなにかして、なにかを感じている。きっと「みんな」はストーリーやらいいね欄にわたしがいても、もう顔も苗字も覚えてないと思う。 なにもする気力はわかないのに、お腹はすくし、眠気もある。「生活」はしていることに気づいて、今日なにも生み出せなかった自分は、周りから置いていかれていると感じる。 努力を
生まれ変わったら人間じゃなくなっていますように。 耳から流れているのは東京事変の「私生活(新訳版)」。亀田誠治作曲、椎名林檎作詞。この時点でアルバム曲とはいえ当時から人気だったであろうことは自明ですが、これまでたくさんの曲をリリースしてきたバンドがなぜいま、この曲に手を加えるという選択をしたのか。 無視することの出来ない感染病がなかなか終息することなく、わたしたちは共に生きていくと覚悟を決めたわけでもないのに、これまでとほぼ同じような生活を求められる。それには働いてお金を
初のnoteで長考して疲れてしまったので下書きにしまっておいたところ、おつかれさまのpop表示。ここはすごくやさしい場所な気がしてきました☺️「居場所」が作れたらいいな。
twitterがXになって、threadというアプリも流行っているのかもしれませんが、写真を載せなくても140字以上の思いや考えをどこかに残しておくべく、noteを始めてみました。 文字書きになるのは5年振りですが、自分のペースでやっていこうと思います。