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量産型とはいうけれど
そういえば近頃は、量産型という言葉は聞かなくなった。それはイエベブルベとかの顔タイプやカラー診断、骨格タイプ診断なんかが流行り、ひとりひとり個別に似合うものが違うことが一般に浸透したおかげなのかもしれない。
それでも多少の振れ幅はあれど、どこかで見たようなスタイルを目指すのは悪いことではないと思う。それは何を目指すかにも寄るのだけれど。
昨今は、個性重視、好きなことで生きていくなどをキーワードに奇抜さやトリッキーさがもてはやされている風潮さえあるものの今回はあえて量産型について書いていきたい。
先日、遊び人の男友達の香水選びに付き合った。
アプリなども含め400人以上の女の子の相手をしてきた彼曰く「香水を選ぶときは第3者の意見を聞くべき」らしい。
さらにそれは異性だと好ましいらしく、相手が香りを感じた時に直感で良い香りと思ってもらえないと意味がないからとのこと。
つまり、自分の好きな香りをまとうことは彼にとって一切の価値を生まないのだ。
以前も「流行りのMBTIを聞かれても、本当のタイプを言う必要はなくて女の子ウケのいいものを答えてるよ」と言っていた。
彼の欲とそれを実行するための合理的な意見に、毎度私は感心せずにはいられない。
遊ぶため、女性にモテることに全振りしている彼らしさも、ここまでくると清々しい。
私自身、目の前の男性に好かれたくて多少服装を意識することがあってもここまで徹底したことはない。
そんなことを考えていると「ただ、こういう選び方をしていると最終的に量産型人間が出来上がるんだけどね」と彼は自虐的に笑って見せた。
なんていうことを言うのだ。
自分の目的のために、その手段を選んだ結果がマス層に不快感を与えないスタイルつまり量産系な訳である。
こんなにも目的がはっきりしていて、根拠もある選択の積み重ねが今の彼ならそれを個性やこだわりと言わずに何と呼べばいいのだろう。
上にも書いた通り、量産型というの抜群の印象は残せないかもしれないが、おおよその人に違和感を抱かせないスタイルである。
誰か1人にモテることよりも、多くの人を視野に入れるのなら量産型がベストな選択であろう。
量産型という言葉が流行った数年前の女性のスタイルも、きっとそんな価値観が根底にありそうだ。
当時から揶揄するために使われていたような言葉だが、一般にコミュニケーションを重要視すると言われている女性が量産型の選択をするのは、コミュニティ内で広く好かれるために合理的な選択であると思える。
考えの深さに深浅はあれど、みんなと同じものやどこかで見たようなものを選ぶことは、きっとその人自身のこだわりであり個性だ。
没個性なんて言葉もあるが、ガワだけ見て一辺倒の個性と人を判断してしまうやつは人の見る目がなさすぎる。クセが強いという言葉もよく使われるようになったがきっと誰しもどこかにクセがあるはずだ。人の個性について言及するならば、目の前の人間のわずかなクセでも見つけてからにしてもらいたい。
人の香水選びが、偶然にも人の個性というのを改めて考え直すためのいいきっかけになった。
ちなみにその後、彼は新しい香りを纏い遊び人らしく夜の新宿に消えていくのであった。