言葉付きの音楽か音楽付きの言葉か
私がこの曲好きって思う時ってどんな時なんだろう。
先日坂本龍一の展示会に行った時にそう思った。
正直にいうと、音楽の基本的な構造や、鑑賞といったことの知識は乏しいためインストの音楽の聞き方が分からない。
展示会では、音楽に合わせて映像が流れたりナレーションが流れたりしていていたもののどれも抽象的なイメージが多くこちらの解釈に委ねられるようなものが多いなと思った。
それらを聞きながら私がこの音楽を聞いてイメージするものは、だいぶ映像や言葉に引っ張られていることに気がついた。
そういえば、私がこの曲好きと思う時ってバックの音楽のメロディーだったり雰囲気からなのか、歌詞を聞き込んで共感できた時どちらだろうか。
多分音楽を聞くときには、言葉付きの音楽か音楽付きの言葉かと認識してるようなパターンがあるな。思い返してみると「この曲の雰囲気好き〜歌詞もいいね」ってことと「この歌詞好きだ、、、曲調も心地いい」って場合どちらもあるからどちらかに絞られることもない。
だけどインストの音楽は歌詞がない分、やはりそれに映像がついていれば自分の解釈がそれに引っ張られるのもあるよなとも思う。
だから、音楽を作っている人と映像を作っている人が密に対話をして作品を作らない限り作曲家の意図を私が違って受け取ってしまうのではないかと不安にもなった。
だが、物販で売られていた大森荘蔵と坂本龍一の対談本を読んでみたところ、「音楽で三角形をイメージすることはできてもそれは人に伝えられない」との記載があった。
ホッとした。
坂本龍一の音楽を坂本龍一の意図通りに解釈できなくても、ある程度仕方のないことなのだ。
とはいえ、作曲家の思想や人となりなどを知ることでおおよそ作品から思いを想像することもできるのだろう。きっとそれが鑑賞なのだ。
そこまでできるような時間や知識があったら今よりも色んなものが楽しめるんだろうな。
できるようになるかしら。