2021/10/15-10/16(街中で出くわす美女横目でキャッチして)
昨日、気づいたら5日も日記を書いていないと思い、帰りの電車でnoteを開いてみるとやはり何を書いたらいいか分からずぼんやりしていた。
結局Twitterを開くと「Suchmosについてのご報告」の文字が目に入ってドキドキざわざわした気持ちでそれをクリックする。ベーシストHSUの訃報だった。信じられない。ドキドキざわざわどころか寒気がして足がすくんだ。そのままSuchmosの3rdを聴きながら家に帰り、夕食を作り、それを食べ、片付けをした。何度聴いても本当にいいアルバムだと思った。それからずっとHSUのことを考え続けている。
19年に大きな台風が接近する中、横浜スタジアムへ彼らのライブを観に行った。安っぽい表現だけれど、本当に奇跡みたいないいライブだった。出来が、とかではなくて(アクト自体ももちろん素晴らしかったけど)、今この時代にこのバンドが存在していることに救われた。
活動休止を発表した時、悲しさや焦りは全く感じなかった。彼らの活動も次のステップへ移る頃であっただろうし、何より新しいウイルスが猛威を振るう先の見えない時代。そういったことから目を背けたり嘘をついたりして、無理に歩みを進めないところが彼ららしくてむしろホッとした。MUSICAの鹿野さんも言っていたように、活動休止はしていてもSuchmosというバンドが存在しているというだけでまだ希望があった。
何をもって熱心なファンというのかは分からないけれど、私も確実にSuchmosという存在に救われた一人だった。無知で未熟故、私たちはやれ知識だ経験だ映画だ美術だと様々なもので武装してやっと自分として立っていられるけれど、時々そんな自分のシャバさが嫌で嫌で仕方がなくなる。でも同世代のSuchmosがそういう俗世から遠いところに自分たちの足で立っている姿を見たり、彼らの作る音楽を聴いたりすると、ハッとさせられて背筋が伸びた。私もこの時代にどこまでも自由でいられると勇気をもらえた。
私にとってはそういう高尚な存在のバンドだったから、その屋台骨がいなくなってしまうというのはかなり堪える。あの個性的な面々の中でもHSUはキャラクターもベースの音も特別に存在感があった。彼のスピリットが色濃く反映されたバンドだったと思う。
話は横道に逸れるけれど、少し前、友人にある映画がテレビで放映されていたから見たか、と聞かれた。見ていない、と答えると「あれだけ興行収入歴代一位って謳われていたら映画好きの人はチェックするのかなと思った。」と言われた。あまりにもサラッと言われたけれど、「興行収入歴代一位」という単語と私が映画が好きということとか、私が映画を見る動機とがあまりにも結びつかなすぎて返す言葉を失った。それは私にとってはただのお金の話だ。日本語のはずなのに言っている意味が分からないと思うくらい、全然違う世界の話だと思った。
私が何かを好きと思う時、それの評価とか世間の声とか、それを好きな自分がどう見られるかとかクソほどどうでもいい。きっと自分を取り巻く色々な物が変わっていっても、私にとってSuchmosとHSUの存在や音楽が尊いことに変わりはない。でもあまりにもいきなりで、そして早すぎて悲しい。それを言いたくて書きました。せめて、どうぞ安らかに。
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