2.10の日記/読書記録
早起きして子供の病院に行って、買い物をして帰宅してもまだ10時だった。今年の目標のひとつに『早起きして朝活をする』があるのだけれど、朝早く起きると一日が長くて有意義に過ごせるような気がする。と、早起きするたび思うのに、なかなか早起きの習慣がつかないのが難点だ。理想は5時に起床だというのに週末は7時半くらいまで寝てしまう。2時間がぽっかり消える。
勉強していた時、睡眠時間だけは削らないと決めて22時に就寝する癖をつけていたのだけれど、その習慣だけはしっかり身についているので、ただ健康的に睡眠時間が伸びた人になっている。
本を読むことを少しずつ体が思い出していて、午後からしっかり読書をした。家族で17時以降はデジタル画面を見ないと決めているので、原稿もできないから本を読んで過ごすことになるだろうと思う。いいことだ。ダラダラ画面を見る癖を今年はやめたい。
この方の本はいくつか読んだことがあるけれど、雰囲気が違う一冊だった。わりと雰囲気のある、でも軽やかな小説を書く印象だったけれど、今回の本はなんていうか…結構幻想の要素も強いし、重さの種類が違う気がする。前者のほうが春に舞う綿毛の軽さだとすれば、こちらは夜半に降る雨粒に叩かれて揺れる葉のような重さだと思った。わからない?私もわからない。
とはいえ流れるように読みやすい文体はそのままなので、抵抗なく読めた。
『夜伽』をテーマにということだったけれど、私は不可逆な『時間』がつねに絡みつくような小説だと思いながら読んでいた。
あとがきで著者が「かねて、このような小説を書きたいと夢見ていた」と書かれており、ずっと書きたかったものを書けるということ素晴らしいことだと思う。私はずっと書きたい小説の断片があたまにちらついているけれど、それを形にすることができないまま過ごしている(ただの実力不足)ので、羨ましい。
小川洋子氏の書く小説はあたりまえのように『死』が出てくるけれど、それは感動させるための道具ではなく、ただそこに『在る』ものとして描かれる。私はそれが好きだ。生きていくことの延長、特別ではないものとしてそれはある。この小説ももれなくそうで、伯父を亡くしたのち、遺された大量の剥製にひたすらAの文字を刺繍する伯母と暮らす「私」視点で話は進んでいく。
どんな時であろうとも揺るぎない伯母も、儀式を行わないと扉をくぐれないニコも、『剥製マニア』のオハラも、出てくる人たちは誰もが愛おしい。完璧な人間なんていないのだと思わせてくれる。初期の作品だけれど、一貫して作品の根本的なところが変わっていないので、私は安心して読めるのかもしれない。