1991 東京漂流 その2
月島
ここはすっかり私に馴染んだ場所になってしまった。月島である。
勝どき橋から歩いて月島へ行く。バスを乗り違え、勝どき橋付近で降りた。
しばらくリバーサイドシティを目印にして歩いていると、PKO法案に反対する共産党の街頭演説に遭遇した。みんなそれを聞き流して通り過ぎていく。
勝どき橋のたもとに築地の魚市場があった。魚の生臭い匂いと、たくさんのトラックが道に溢れている。魚市場には活気があり、私は日本全国から来たトラックに圧倒されて築地を通り過ぎた。
鉄の橋を渡ると月島を目指して歩く。道には人々が脇目もふらずに歩いている。
狭い路地に入ると小さな病院があった。アルミと磨りガラスの扉には『ノブにぶらさがらないでください』という札がかかっていた。おかしかった。
月島の商店街を抜けると、駅に出てさらに隅田川のほうへ歩いていく。ビルの数が増えているような気がする。
いまだに建設中のビルもある。東京湾岸を歩いていて一番目につくのが、この建設中のビルのクレーンである。全国のクレーンが大挙して押しかけているような、そんな錯覚さえ思い浮かぶ。
その隣に古びた木造の家が並び、昔ながらの佃煮や塗り物の店がある。猫が群れて辺りを散策している。そんな町である。
リバーサイドの学校のきれいな校舎を眺めると、その校庭には誰もいなかった。夢の国のような学校へ、子供たちは古びた町とのギャップにどのような思いを抱いて通っているのだろうか。
リバーサイドのビルは相変わらず生活臭のない、夢の国のようだった。陳腐な言い方だが、私はここに来るとまずこの単語を思い浮かべる。
ビル群を外から眺めて判断するしかないのだが、私はどうもこの規格統一された住宅街が好きになれない。庶民なので、二三年なら住んでみたいとは思うが、一生の住まいとしてはとても選べない環境に見える。雰囲気が殺伐と、寒々としている。ゆとりがない生活をしている、現代のサラリーマンの姿を思い出してしまう。
いつかは私もこの緑のない、殺伐とした都市に何の違和感もなく溶け込んでいくのだろうか。
散策していて、人に声をかけられる。写真を撮っていると通行人に変な顔をされるのが常だったが、古い町に行くと人によく話しかけられた。美術の学校の課題だというと、まず人から親の心配をされてしまう。確かにずいぶん金がかかる。JRとカメラ屋さんに安くしてほしかったと思う。
新木場
新木場の駅に降りる。
木場は名前のとおり木材を置く場所である。木の筏が連なる東京湾の内陸を写真に撮る。
木場には木材の卸売市場がある。倉庫が建ち並び、木の匂いが漂ってくる。向かい側の岸にはクレーンが並んでいて、ここも湾岸の開発都市になっているのかと思った。しかし、それは木を吊り下げるためのものであるらしかった。
夢の島は有名な埋め立て地である。そして、ゴミの島という印象が強かった。が、湾岸道路が通る新木場駅付近は砂地で、植物の生い茂る公園の土は茶色かった。
夢の島熱帯植物園に行くあいだには体育館や運動場があり、一般の市民に開放されている。その近くには江東区のゴミ処理場があり、ひっきりなしに東京都のいちょうがついた青い清掃車が行き来している。
熱帯植物園は球を四等分にしたような形のガラス張りの温室で、その横に不自然な形の煙突が立っている。横といっても目立たないところにあるが、ここが清掃処理場なのだろう。
なぜここに清掃処理場があるかというと、ゴミを焼却した余熱を利用して温室の温度を保っているからだ。最初からあったのは植物園ではなく、ゴミ処理場のほうだったのだ。
植物園は最初、誰もいなかった。ひとりで貸し切りだとはしゃいで温室に入った私は、いきなり押し寄せた異常な湿気に驚いた。
温室とはいえ、湿度が高すぎる。怪訝に思った私がカメラを構えると、とんでもないことが起こった。
カメラのレンズが曇っているのである。私がいくら拭いてもレンズは曇るばかりで、私は半分パニックを起こしていた。
そこに遠足で来た子供たちの一団と鉢合わせし、私の混乱はさらに悪化した。子供たちが邪魔で写真が撮れないは、レンズが曇るはで私は半ば腹を立てながら無理矢理写真を撮っていた。ゆえにここの写真はまともに使えるものがほとんどない。
元凶は中央の滝だった。これが温水だったのだ。
子供たちが自分の「写ルンです」で写真を撮るせいで、私は邪魔者扱いされてしまった。これに対抗しようにも、人海戦術でこられた日には私に勝ち目はない。
温室の中身はほとんど覚えていない。パンの木があったような気がする。人の頭の大きさの実がなり、それが食用になる木だ。
バナナやパイナップルもあった。やしからナテラの洗剤の材料になるアブラヤシの木もあった。
赤くて堅い五センチくらいの実が固まって木についている。
温室の外に出ると、やっとレンズの曇りがなくなった。私は安心した。
資料のエリアでまた子供たちと遭遇する。不本意ながらその間を縫って展示を眺める。
やっと撮れた一枚は板根という熱帯特有の木の根である。幹の下が板状になっている。これはボルネオ島原産である。
ここで会ったおばさんの一団が子供のようにはしゃいでいた。ひとりで来た寂しさを感じる。
この植物園は子供向けに設計されているようで、植物の説明も子供に親しみやすい表示になっている。清掃工場の熱で植物を育てているのよ、という社会の勉強じみたことを先生が教えているのだろう。
この植物園はレジャーにしては小規模で、すこし物足りないと私は思う。
清掃工場のほうにも行って写真を撮ろうと思ったが、光量不足で写真が撮れなかった。運のない日はつくづく悪いことが続くとしみじみ思った。