1991 東京漂流 その3
海浜幕張
二年前、一度だけ幕張に行ったことがある。幕張メッセのイベントに行くためだった。
JR幕張駅のきれいなこじんまりとした駅からバスでメッセまで行ったのだが、荒涼とした広い野原に幕張メッセの有機的な建物だけが見えた、あの景色を異様なものとして今でも覚えている。
海浜幕張駅も三月に開通していたのだが、何度か乗ったことがある総武線のほうが私は信用できた。そのころは大きなビルがひとつふたつしか建っていなかった。あの寂しげな幕張しか、私には覚えがなかったのだ。
京葉線は東京駅のなかでもさらに隔離されたところにある。ただ単に場所がないというべきであろうか。
京葉線へ行く駅の通路には動く歩道がある。SFではこの動く歩道のことをインテグレーターという。
私は心のなかで、インテグレーターがあるなんて、まるっきりSFね、とミーハーなことを考えながらその上を歩いていた。
何事もなく海浜幕張に降り立った私は、ずいぶん変わったものだとしばらく戸惑ってしまった。
ビルの谷間をうろついてみると、どこでも工事中のビルの音が響いてくる。
いまだに建設中のビルがあちこちに乱立していて、あの野原はこんなふうになったのか、と美しい外観のビルや道路のデザインを眺めて感心した。
が、なぜかあの野原だったころの荒涼とした雰囲気は拭えない。
活気がないというか、人が動いている感じがしないのだ。あれだけ大容量のコンベンションセンターやインテリジェントビルが立ち並んでいるというのに、人の気配がしない。
その奇妙な感じは、幕張のどこへ行ってもつきまとって離れなかった。
マリブタワーというマンハッタンの双子のビルをまねたような双頭のインテリジェントビルに入ってみる。
外資系企業が集まったワールドビジネスガーデンというらしい。
自動の回転式ドアを手で押して入ると吹き抜けになった高い天井のロビーに出る。人影はまばらで、受付のきれいなお姉さんたちも暇そうにしている。このビルにそぐわない格好をした私には見向きもしない。
ロビーは大理石の壁に覆われていて、照明と装飾を兼ねた黄金色のやしの木が回廊のように立っている。やしの木はいかにも成金という感じがした。
二階に上がってしばらく歩くと、エレベーターを見つけた。また大理石の壁に対面して、私は思わず東京都庁のエレベーターを思い浮かべてしまった。あの建物も大理石がたくさん使用されている。すごく金がかかりそうな建物だった。
一番上まで行ってみようと二十五階のボタンを押す。エレベーターの床ににわか仕立てのベニヤ板が敷かれていて、私は驚いた。まだ細かいところは仕上がっていないらしい。
エレベーターは思ったよりも速く二十五階に着いた。降りてみると、白い壁にグレーがかった青という色調の廊下が伸びている。
廊下の片側に閉じられた扉がいくつも並び、窓はひとつもなかった。
異様に静まり返った廊下を進むと廊下は右に折れ、また同じ光景が続いている。
扉にはどこかの会社のプレートがかかっている。その扉に手をかける勇気はなかった。
扉にはひとつひとつ縦に五列ほどの数字の表示がつけられていて、それが部屋の階数や位置を表しているようだ。私にはその表示の法則性が最後までわからなかった。
私は場違いなところへ来てしまったと思った。無機質な、観葉植物が置かれていない廊下は何となく私をいたたまれないような気分にさせた。
どうせ私は田舎者だと思いながら、早々にその場を去った。
しばらくビルの谷間をうろついてから、私は久々に幕張メッセを訪れた。あいかわらず、くじらのような妙な建物である。
人工の建造物は直線で構成されていることが多いので、このようなアールのついた建物を見るとどうも不安になる。どこかで崩れてきはしないかと無用な心配をしてしまう。
その日のメッセではイベントの片づけをしていた。広い通路を突っ切ってイベントホールに入ると、階段の踊り場からホールの広大な敷地が一望できる。なかで人が忙しそうに働いていて、トラックが平然と細かく区切られたベニヤ板の壁を縫って走っている。自転車で移動する人もいる。
人に見とがめられはしないかとおどおどしながら写真を撮っていたら、三枚のうち二枚はぶれていて使えなかった。下にいたアルバイトらしきお姉さんも怪訝そうに私を見ていたので、私は怪しい人のようにいそいそとホールから出ていった。
通路を横切って延々と歩いていく。通路は終わりがないかと思うほど長く、普段の運動不足と空腹がたたって疲れてきていた。
その途上で食い散らかしたミルクパンと遭遇した。
初めて人間がいるという認識を得たような気がして、私はそのミルクパンの写真を撮った。
ミルクパンに出会って安心した私はその後、メッセの横で犬のふんに出会い、発作にかられて写真を撮ってしまった。
そんなものを撮ってどうするつもりだったのか。自分でもよくわからない。
とにかく、犬のふんがそこにあったということは、人の気配が感じられない幕張にも住んでいる人がいるということを表しているのだろう。会社に犬を連れてくる人はまずいないだろうから。
このごろは飼い主のマナーがよくなってそんなものに出会う機会がなかったので、こんなところで犬のふんに遭遇したのはなかなかの珍事ではあるまいか、と私は思ったのだった。
ふんにずいぶん紙面を割いてしまった。私は幕張メッセを出ると、ふたたび放浪し始めた。
幕張は音が絶えない。たえず工事の音や、車が走る音が聞こえる。人の話し声もときどき聞こえるが、なぜか人影はまばらで、遠い。
きれいに整備された道路には都心で感じる猥雑さはないが、疎遠さは都心のそれと変わらない。
住みやすい土地とは言えない場所だということが、都心と幕張新都心との共通点だろう。
千葉マリンスタジアムがメッセの裏にあった。こんなにメッセに近いのかと感心した。
やはり周辺の整備がまだ行き届いていなくて、閑散としている。ロッテ歓迎の垂れ幕がかかっていた。
今日はゲームもないようで、広いスタジアムには誰もいなかった。外の植え込みで掃除婦たちが仕事をしている。
事務所だけに電気がついていて、私はある窓を覗き込んだ。広い部屋のなかで若い女の人がひとり、ポットを脇に置いてお茶を啜っていた。何か物寂しい風景だった。
往生際が悪い私は、球場内に入ろうとあちこちの入り口を探したが、どこもみな閉まっていて中には入れなかった。
仕方ないので、入り口を遮る格子の隙間から写真を撮って、球場を出た。
その向こうがすぐ海であった。私が砂浜に出ると、黒い自転車が二台停まっていて、波打ち際に学生服を着た男子高生がふたりで遊んでいた。
私はその自転車がアベックのものでないことに安堵しながら、ほのぼのとした気分でその光景を眺めていた。
しばらくその辺を歩いて戻ってみると、ふたりの男子高生はいなくなっていた。
砂浜に手で砂を掻いて作ったたこの顔が残っていたので、私はそのたこに足を付け足して写真を撮ろうと思った。
設計ミスで足が六本しかつかなかった。
そのせいで、というよりもフィルムが残り少なくなっていたので、その合作写真は撮れなかった。ちょっと心残りである。
海は無人で、夕日が沈もうとしていた。夕日が狙ったように海に沈んでくれて、私は喜んで写真を撮った。
よく考えてみれば、海に沈む夕日は初めて見たのだ。うちの田舎でも学校の周辺でも、夕日は山へ沈む。
船が遠くにかすんで見える。低い汽笛の音が聞こえた。
波の寄せる音がする。
クレーンが並び立つ新都心がすぐそばにあるとは思えないほど、砂浜は別の世界だった。
閑散としていて誰もいない砂浜はしかし、都市の疎外感とは無縁であった。そこは懐かしい感じがして、私はとても安心した。
そのように異なったものがすぐ隣にあることは、私が持っていた華やかな新都心のイメージとはずいぶんとかけ離れていて、私はそれが幕張の意外で面白い点だなと思った。
感想
都市の変容をテーマにやってきたのだが、面白かったのは古くても新しくても人が生き生きしていた町であった。
入れ物はどうでもいいかもしれないが、人の感情や情緒が環境からくるところも大きいのではないだろうか。
新しいものには価値があり、古いものにはないという考えがある。それが今の消費社会を形成する思想を支えている。
経済の活性化を促しているのだろうが、そうして私たちが失っていくものもあると皮肉にも最新のインテリジェントビルが象徴しているような気が、私にはした。
ウォーターフロントのビルは人間を偏差値で分け、記号化した社会にふさわしい最新の都市という感じがして、それが私に疎外感を感じさせるのだった。
ウォーターフロント計画にたずさわる人たちに人間の生活を考えた都市設計をしてほしいと思った。
真面目なことを言ったが、やはりあの都市に住んでみたいな、とも思う私だった。
きれいだし、交通の便もいいしと、欲を言うときりがないところが、私も小市民だなと思うゆえんである。
もうすこしスーパーや本屋が近いところにあればいいんだけどな。うん。