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2019 天国には別の入口がある3

 クドリャフカは高校生のときに、クラスで苛めに遭っていた。
『ほんとうは、自分よりも先に苛められていた奴がいたんです。
そいつを庇ったら、今度は僕が苛めの対象にされた。
今度はそいつが一番僕を苛めるようになったんです』
 それからクドリャフカは、朝起きられないようになった。病院で血圧を上げる薬を処方されたが、それを飲んでも半日は学校へ行けない日々が続いた。
『何で僕はそいつに苛められなければならないのだろうと思いました。
やっぱり苛められる奴にはそれだけの理由があるのではないかと。
他のクラスメートも、僕が暴力をふるわれているのを無視していました』
 クドリャフカは淡々と自分の傷をさらけ出していく。
『単位制の高校に転校したら、状況がすこし楽になりました。
いろいろな境遇の生徒たちがいて、最初は学校へ行けるかもしれないと希望を持ちました。
でも、クラス内にグループがあって。
グループに入ったら、どこかでかならず分裂が起きる。
だったら最初から、ひとりでいたほうがいいと思いました』
 孤独なクドリャフカの姿が、引きこもりの同級生の姿と重なる。同級生を好きになって、自分が同性愛者ではないかと脅えていた類の姿にも。
 類は中学生のとき同級生に仄かな憧れを持ってから、自分がほんとうに異性愛者なのか、疑問を抱いていた。
 かといって性的な嗜好が男にあるわけでもなく、類は自分の問題には目をつぶって、誰とも付き合わないようにしてきた。
「こんな話をすると引くかもしれないけど」
 類は初めて他人に自分の性的な悩みを打ち明けた。
「俺が好きだった人も引きこもりなんだ。男だけど」
『そらみみさんは、同性が好きな人なんですか』
「いや、好きになったのはその人だけだ」
『引かないです。そういうこともありますよね』
 類は、クドリャフカが文字だけの存在だから、自分の性的な悩みを打ち明けられるような気がした。

 次の日は仕事が遅番で、クドリャフカへの返信が深夜になった。
『そらみみさんはちゃんとお仕事をされているんですね。すごいですね』
「普通だよ」
『すごいです。朝早く起きて、仕事に行けて。僕は玄関から外へ出ることもできない』
 類は自分の部屋で煙草を吸いながら、送られてくるダイレクトメッセージを眺めていた。
『ツイッターのタイムラインを見ていると、みんなが前を向いて歩いていて、僕だけが置き去りにされているような気がします。
うつのなかに吸い込まれていくようで、怖いです』
「時間が経てば、朝起きられるようになるし、仕事もできるようになるよ」
『でも、高校もまともに出ていない僕に、何ができるかわかりません』
「今はきちんと寝て、身体と心を休めて、学校のレポートを書くんだ。
人と同じスピードでは進めないかもしれないけど、君はきっと、うまく生きられる」
『そらみみさんは何で僕のことがわかるんですか』
「わかるよ。君は宇宙で死んだライカ犬をほんとうに悲しいと思っているし、核兵器をほんとうになくしたいと考えている。そういう人間だから」
『そらみみさんもそう思っていませんか』
「俺はそんなに真面目な人間じゃないよ。ほとんどの人間は、そんなことは生活に埋もれて忘れてしまっている」
『僕はつまらないことで怒ってばかりいるって、親からも言われます』
「君と話すのは面白いよ」
 液晶画面に沈黙が訪れた。類が煙草を消すと、そらみみさんは優しいですね、というクドリャフカからのメッセージが届いた。

 砂漠の夢を見た。今度は見知らぬ青年が、砂漠の石を拾っていた。
 夜の砂漠で、青年が石を眺めている。うすい黄色の、ガラス質の石だった。
 青年が空を見上げる。砂を撒いたような星空が、青年の顔を照らしている。
 懐かしさが胸にこみ上げてくる。
 彼にもう一度、会えるだろうか。

 次の日は遅番明けの休日だった。
 類は自分のアパートから電車で一時間の距離にある実家へ帰った。
 母親への挨拶も早々に、二階の自分の部屋へ駆け上がる。自分の部屋の本棚から、中学校の卒業アルバムを取り出す。
 類はクラスの住所録を探し当てた。
 スマートフォンで電話をかける。電話には、中年の女性が出た。
「中学校で同じクラスだった柏木です。卒業式の日にお母さんに会ったこと、覚えていますか」
 電話の女性はすこし言い淀んだ後で、あのときの、と声を一オクターヴ高くした。
「逸樹は大学に行ってます。夕方には帰ってきますけど」
「大学に行けるようになったんですか」
「ええ、今年から。高校を卒業するのに七年もかかっちゃったけどね。逸樹と連絡を取りましょうか?」
「いえ、俺からも連絡が取れるんで大丈夫です」
 電話を切ると、類はスマートフォンでクドリャフカにダイレクトメッセージを送った。
「こんにちは。そらみみです。
実家へ戻ってきました。
今大学に行っているそうですね。
帰ってきたら、会いたいです」
 気持ちを落ち着かせるために、煙草を吸う。煙草を一本灰にして携帯灰皿へ吸い殻を収めているときに、メッセージが届いた。
『すぐに帰ります』
 大学の授業はどうするんだと思いながらも、口元を緩めた。

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