羊水過少で入院。27wで出産するまでの1か月の記録。
もうすぐ5歳になる息子が生まれた時の話なので、
きっと今の医療はもっと進んでいるだろう。
これは当時の日記からまとめたひとつの記録として。
原因不明の羊水過少という症状と親としての決意
「羊水がちょっと少ないねー」
かかりつけの産婦人科で突然そう言われたのは
20週検診の時だった。
普段から一定のテンションの穏やかな先生だったため、最初聞いたときは事の重大性も良く分からず、
えーそうなんですかー?という感じだった。
原因として考えられることは
・胎盤機能の問題
・赤ちゃんの腎機能の問題
・破水
胎盤機能については赤ちゃんが大きくなっているし
エコーの様子からも恐らく問題はなさそうと。
そのため、まず赤ちゃんの腎機能の問題を懸念される。羊水というのは赤ちゃんのオシッコだから、
羊水が少ないということはオシッコが作られていない可能性があると。
(ん?それは一大事ではなかろうか・・・)
次にポッター症候群について。
ポッター症候群という腎臓がない症状の場合は致命的な問題になるけれど、今のところおなかの赤ちゃんには腎臓も見えるし膀胱にオシッコも溜まっている様子との話。
(腎臓がない??いきなり?前回の検診までは普通だったのに?)
そして、今のところ赤ちゃんは元気に成長している様子だけど、羊水が無いと呼吸ができないため、肺の成長に影響が生じるリスクがあること。
今後の成長に関して様々な事態は
想定しておく必要があるという説明を受ける。
(呼吸ができない?)
さいごに、辛い決断をする場合は22週までに決めなくてはいけないと。
このあたりで事の重大さを理解し始める。
「羊水過少症」という診断を受け、ハイリスク妊娠ということで大学病院を紹介され、4日後(21w2d)に診察に行くことになる。
あまりに急展開すぎて状況を理解するのに必死だったし、理解するにつれて不安に襲われ、
大学病院に行くまでの4日間の記憶はほとんどない。
羊水過多というのは聞いたことがあったけど、
羊水過少というのはあまり情報がなく、
ネットで調べると怖い情報ばかり目にするので、
とりあえず大学病院まで極力日常生活を過ごした。
幸いにも当時2歳だった娘の屈託ない笑顔のおかげで、現実を忘れられる時間もあったのが救いだった。
4日後の大学病院での診察では、同じ診断を受け同じ内容の話をされた。
破水検査もしたけど結果が不明瞭(そんなことある⁈)で、結局原因が何なのか、今私のおなかの中で何が起きているのかということについてはその時にはわからずじまい。
破水の場合は自然に穴が閉じて元に戻る症例もあるということで、まずは自宅安静で様子を見ましょうという、なんともフワフワした状態で1回目の診察を終える。
原因がわからないから対策が打てない。
それが苦しくて、既に羊水が少ない中赤ちゃんの呼吸がどうなっているのか不安しかなかった。
でも分かっている事実が一つだけ。
それは
「おなかの中の赤ちゃんは今生きている」
ということ。
そして今のところ赤ちゃんに明確な問題は見当たらないということ。
それであれば今私が母親としてできることは、ただ育て守ること。 それ以外に思い付かなかった。
大学病院に付き添ってくれた夫も同意見で、私たちはおなかの子を育てる決意をする。
安静という名のもと「何もしない」「何もできない」ことの辛さ
2週間仕事を休み23w2dで大学病院の再診。
羊水は増えてもいないけれどゼロにもなっていないという状況で、入院での経過観察ということになり母胎向けのICU(MFICU)に入る。
ここから出産に至るまでの1か月の中でいちばん辛かったのが「何もできない」こと。
この入院での最初の目標は、26wまで、できれば28wまで、赤ちゃんをおなかの中で育てることだった。
一般的的に早産となった場合、
赤ちゃんの生存率は、25wで出産した場合は50%、
26wになると80%に上がり、28wを超えると90%になるそう。
(予後の状態は別問題であくまで生存率。)
各病院によって方針は多少違うけれど、私の入院した病院では早産のリスクの場合、28wまではできる限り母体の中で、28wを過ぎたら赤ちゃんの負担を考えて 出産して外の世界で育てることを推奨していた。
23wの私がその時にできることは「安静」しかなかった。
おなかの張り止めのウテメリンを24時間点滴で投与し、トイレ以外はベットの上でひたすら寝ている生活。毎朝の診察で羊水ポケットのサイズを測り、羊水の増減をチェックする。朝昼夕の3回赤ちゃんの心拍を図るNSTを行う。
それ以外、何もせずただ1日が過ぎるのを待った。
私は自分でも楽観主義者だと自覚しているし、悩んでも仕方のないことは悩まないと決めているけれど、何かしていないと色々考えてしまうので、基本的には本を読んだりテレビを見たりして過ごした。
2歳の娘を義母に預けて夫は毎日面会に来てくれたので、そこでとりとめない会話をすることが気晴らしだった。
MFICUには子どもは入れないため、娘とは毎週末に廊下で1時間程度しか会えないのも辛かったけど、そこは出産までの我慢と自分に言い聞かせて踏ん張った。
そんな中、徐々に赤ちゃんの胎動を感じるようになって、
生きるぞーーー!!ママも頑張って!
と言われているような気がした。
「このまま羊水が増えなければ赤ちゃんの腎臓の問題と言われるのだろうか」
「肺は元気に育つのだろうか」
「私はこの子を抱けるのだろうか」
という不安が尽きず、胎動がない日はとても怖かった。
ある日助産師さんに
「赤ちゃんは頑張っているのに私は何もしていない。治療らしいことが何もしてあげられないことが辛い。」
とボヤいたことがある。
その時助産師さんは
「母にできないことはひとつもない。今赤ちゃんに対してそう思っていること、入院という選択をして安静にしていること、それも十分に母親の役割。母親にしかできないことです。」
と言ってくれた。
私にしかできないこと。そっか。
神様は乗り越えられる試練しか与えないのだった!
この入院生活、そして産後も助産師さんやお医者さんの言葉には何度となく救われた。
毎朝の診察で、 赤ちゃんは少しでも呼吸がしやすいように、羊水のわずかな溜まり場に顔を向けていることが多く、人間の生命力の強さを感じた。
この子が生きようとしているのに母親の自分が弱気になってどうする!! と思い直してまた1日を過ごす、そんな日々。
人口羊水注入という選択
24w0d。
赤ちゃんの肺の形成をサポートするために、 人口羊水を注入するという、初めて治療らしいことに踏み切った。
注射で少しづつ人口羊水をおなかに入れるので、刺激により陣痛を誘発するリスクはあったけど、赤ちゃんが少しでも楽になるのであれば!
また、羊水注入後に流れ出てきたら破水の確定ランプがつくため、羊水過少の原因追究のためにもトライすることにした。
お腹に針を刺して250CCを注入。
マジで緊張した。
なんか無理やり水を飲まされているみたいにおなかが膨らんでくる感じで、変な感じだった・・・。
その後すぐにチョロチョロ流れ出てきたので、 やっぱり破水している様子。翌朝には半分くらいに減り、ほぼ数日でまた元通りの少なさになる。ちーん。
まだ、破水とは決められなかったけど、これ破水だよね…と自己結論。
明らかに水が流れ出てくる日とそうでない日の差があり、少しでも体内に留めてめておこうと、寝返りも最低限に留め、今まで以上に動かないように安静に過ごす日々。
このまま穴がふさがってくれるといいのに。頼むよ神様〜と祈る。
25w2d。
2回目の羊水注入の予定が、赤ちゃんの位置が悪く中止になる。羊水注入は赤ちゃんを守る一番シンプルな方法で、できる限りトライして1日1日を繋ぎたい
という思いだったので、「今日はできないねー」と
先生に言われた時は妙に落ち込んだ。
でも「できない」というと不安がよぎるけれど「やらないという判断」と捉えれば、先生たちを信じることができる!
ひとつクリアするとまたひとつ何かにぶつかる日々に少し疲れてしまっていたけど、先生たちも助産師さんたちも、 夫も2歳の娘も、会社の仲間も、全員がおなかの命を育むために力を尽くしてくれている。
何よりおなかの赤ちゃんがそれに応えて頑張ってくれている!
第一目標の26wを迎え、毎朝羊水ポケットの数値を祈る思いで見る。
朝の診察で「なんで流れて出ちゃうんだろ~」とボヤいたら、助産師さんが
「なんで~?って思いながら1日1日が過ぎればいいのよ!」と。
その言葉のチカラがまた勇気をくれる。
今日という日が無事に終わればそれでいい!
それでいいのだ!
26w1dで2回目の羊水注入。
今回は青く着色した食塩水を注入。そしたら見事に青い水が流れ出てきて、破水確定ランプが灯る。
どこかにすごく小さな穴が開いて、そこからチョロチョロ羊水が出ていた模様。いつの間にー。
正直、羊水過少の原因が破水とわかってホッとした。腎機能不全などではなく破水だったのだ。
もちろん肺の形成への影響というリスクは消えないけれど、これで「何もわからない」という辛さからは解放された。
出産へのカウントダウン。数えきれない人の支えで生まれた命。
破水が確定となったので、感染症を防ぐために肺機能強化の注射を打ち、張り止めのウテメリン点滴を外し、陣痛が来たら出産しましょうという方向性に
決まる。
確実に早産になるだろうけど、あんなに少ない羊水の中でここまで生き抜いてきた子なら絶対に大丈夫という確信があった。
とにかく私は母親として元気に生むこと。それだけが私の使命であり、できる唯一のこと。
覚悟が決まって会える日が近いと思ったら無性に会えるのが楽しみになった。
ここまでは母胎科というところでお世話になっていたけれど、生まれた子供たちをサポートするのは
新生児科になる。
27wに入り新生児科の先生が病室にやってきた。(この後長いお付き合いをすることになる。)
「この1か月、お母さんは寝ていただけだったかもしれないけど、赤ちゃんにとってはそれが最高の治療を受けられたことになります。それはお母さんにしかできないこと。ここまでお母さんが頑張ってくれました。産まれた後は我々が全力でサポートします。」
この1か月の全てが報われた気がして涙が溢れ出た。
もう何も怖くない。
元気に生まれておいで。
みんなで待っているから。
27w3d。
ウテメリン点滴を外す。
陣痛が来るまでの長さは個人差があり、このまま目標の28wまでいく人もいるとのこと。なのに!!私の覚悟が決まったせいか、あっさり3日目で陣痛がくる。
「なんか痛い気がしますー」とナースコールをしたら子宮口が開いており、そのまま自然分娩で982gの赤ちゃんを出産。
ちゃんと赤ちゃんは泣いてくれた。
アルミホイル?か何かに包まれたすごく小さな赤ちゃんを、助産師さんが私の顔の横に一瞬だけ置いてくれた。
多分ほんの5秒くらいだったかと。
赤ちゃんはそのままNICUへ。
羊水が無いとエコーが見えづらく性別が全然わからなくて、出産直後に助産師さんに「性別は?」と聞いたら、「ごめん、そこまで確認できていない(笑)」と。
まずはとにかく赤ちゃんの命を守るため、みんな一瞬一瞬を大事に動いてくれたのだな。
性別を知ったのは翌日で、元気な男の子だった。
元気に無事に生まれてきてくれてありがとう。
お母さんにしてくれてありがとう。
数えきれない人の支えを受けて誕生した尊い命。
ここから3か月のNICU生活と、
その後長きにわたる成長観察が始まる。
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