心理的安全性は共同利用のバッテリである
心理的安全性はストックのようでもあるが,一定量がいつまでも保存されているわけではなく自然減耗もある.また人と人との間に存在するものであるから共同で利用するものとも言える.その意味で心理的安全性は共同で充電し共同で利用するバッテリのようなものである.
最初に充電しないと使えない。使えば減る。使わないで放置しておいてもすこしずつ減る。従って、しばらく使わなかったり,使ったりしたら充電しておかないといずれ尽きる。使った人がすぐ自分で充電する習慣が有れば尽きることはないが、このバッテリーを共同で利用すると起きがちなのは、使う人と充電する(できる)人が違うことである。ともすれば使った人が自分は使ったという意識すらなく、結果としていつも使うばかりの人もいるだろう。こうなると心理的安全性のタダノリといってもよい。タダノリしていても、そのことで良い成果が上がるならばまあ許されるだろう。平和のためではなく、成果のための心理的安全性だからである。
他人が作ってくれる心理的安全性にフリーライドして成果を上げている人は、自分で心理安全性を作れない事も多そうだ。自分でそのことを自覚していれば、新しい場所に行くときには心理的安全性の構築の達人と一緒に行くのが身のためである。そうしないとただの危険人物扱いされてしまう危険がある。逆に心理的安全性構築の達人は,そうした成果を出せる「危険人物」を発掘することを心がけるといいのではないか。
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