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始まった普通の日常

正月三日、朝から今日は酒は飲むまい、と決めたところに電話が入った。「天王寺まで行くから出てこれないか」といつも世話になる先輩の元気なお声、仕方なく「じゃあ、昼飯だけ食べましょうか」と出て行った。

昼前に着いたが駅は人でごった返していた。コロナのこの三年間の空白を取り戻そうとするかのように老若男女、個人団体でごった返していた。駅ビルの中二階の食堂街に入る。昔見た正月の普通の光景がそこにはあった。まあ、見事なほど、どの店も満席である。気の利いた中華屋をのぞくとちょうど二人が席を立ったところ、すかさずそこに席を確保した。先輩は元気にルーローハン、私はチャーハンと餃子を注文すると、「正月だからワンドリンク注文しなさい」と可愛い店員さんが優しく命令してくる。「オオッ」来たかと思い先輩と顔を合わせて仕方なしに生ビールを注文する。出てきたビールはよく冷えていて美味かった。ビール一杯で済むわけがなく、紹興酒を美味い中華で腹に流し込み、元気な先輩の今年の計画をうかがった。技術畑を歩いて来た先輩は新エネルギーに今年は深く首を突っ込むという。いつも新しいことを考えている方だ。私はそんな話を聞けるのがいつも楽しみで毎回話を聞かせていただきそこでの飲み代まで払ってもらっている。今年は授業料を払わせてくださいと、財布に手を掛けるが今回もご馳走になってしまった。そして、なにかで返さねばと考えることが私のバネにもなっている。敬愛して止まない先輩である。

自宅への途中で声をかけてくれた先輩を近鉄の改札まで送り別れた。
私は人の少ないJRに揺られ久宝寺で降りぶらぶらと歩いて帰った。午後のこんな早い時間に歩く道ではない。青い空に白い雲が強い風でどんどん押し流されていく。町工場と住宅の混在するなかを歩くが人気はまるでない。陽の当たる静かな街を歩き、強く普通の日常を感じた。昼間の酔いは回り始め合わせて睡魔も襲ってくる。そんななかを人のいない街中を流れゆく雲を見ながら歩けることが嬉しかった。子どもの頃によく見た空がそこにはあった。何も考えず、何の不安も無く見た空がそこにはあった。うまくは表現出来ぬのだが、金で買うことの出来ない幸福感がそこにはあった。

正月は終わり、また普通の日常が始まるのであるが、すでにここには普通の日常があった。幸せとともにいつもあるこれまで気がつくことのなかった普通の日常がそこにはあった。


手前の皿はシナチクです(極太!) 蒸し鶏のソース、砕いたカシューナッツで美味さアップ!!と、いうことで紹興酒は飲み過ぎました、、(今年も進歩ありませんな)

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