ふと思い出したこと
菊地正夫さんのエッセイを読んでいて子どもの頃の出来事をふと思い出した。
エッセイは菊地さんが育った北海道、その自然とともに育った菊地さんの記憶である。
私の引いた記憶の引き出しはたぶん小学校の高学年、遠足に行った時の思い出である。
春だろうか秋だろうか、定かではない。
どこに行ったのか、細かなシチュエーションも思い出せない。
憶えているのはその当時は当たり前だった本当の遠足での事。
歩いた、ひょっとしたら山に登ったかも知れない。
そして、その時期には外れた暑さだった。
そして、帰路に就き、おおかた遠足の終わりかかっていた頃の事だ。
今のようにコンビニや自販機がどこにでもありその気になれば飲料を簡単に手に入れることが出来た時代ではなかった。
皆、プラスチック製の水筒を肩から斜に掛けていた。
元気な小学生である。好天のもと、気の合う仲間とおしゃべりをしながら歩けば少々の暑さなど気にはならない。
しゃべりながらお茶を飲み、弁当を食べお茶を飲む、帰りのその頃には誰もが水筒を空にしていた。
疲れ果て、喉が渇き口を開く者はいなくなっていた。
「宮ちゃん、お茶残ってるか、ひと口でいいからおくれよ」友人はすでにお茶を飲み干し空の水筒を肩から下げていた。
少しだけ残していた私は「うん、あるからやるよ、ちょっと待ってな」と自分も最後にと思い、残したつもりで口にしたのだが本当に少ししか残っていなかった。
ひと口で最後のお茶を飲み干してしまったのである。
友人は「いいよ」とそれ以上何も言わず、私も「ごめん」以上に言葉は無く、トボトボと帰ったのである。
たったそれだけの記憶であるが、こんなことが心の隅に『罪悪感』として残っているのである。
今の時代であるならば、教員たちは自身の危機管理からこんな強行軍のような遠足を計画はしないだろう。
それに考えてみれば私が非を感じる必要などまったく無く、今なお引けば出て来る記憶の引き出しにあるのを不思議に思う。
それ以外の何かもあって、それを忘れているだけなのかも知れない。
でも、こんなことを思い出す機会が増えてきたのは長く生きて来た証拠だと思う。
記憶は死ぬまで断捨離の出来ない証拠だとも思う。
アルツハイマー症だった母でも子どもの頃の詳細の記憶をこぼれ落とさずに引き出しに残していた。
考えれば不思議なことである。
そして、私が死んでしまったあと、私の記憶はどこに行くのであろう。
これはいつも不思議に思うことである。