怖いと思ったこと その2
建設業界の営業マンはわりと怖い思いをしているかも知れない。
まずは、オーナーが個人から上場企業、官公庁まで、実にさまざまなのである。
そしてこのオーナーとの契約にたどり着くまでにサブキーマンのような存在が時々ある。
そんな存在はまあまあややこしかったりする。
『経験』という二文字で済ませてしまうがこんな人たちとの付き合いで気持ちや心をすり減らし、なかには命まで落としてしまう方までいる。
気楽にやって来たつもりであるが、ある意味命懸けの24時間365日の仕事だった。
このnoteでも過去幾つか、書き綴って来た。
この『ほたるのはなし』はこの先蒸し暑い季節、ホタルの飛び交う季節がやって来ると必ず思い出す。
ゼネコン京都営業所時代に、ある公益法人の名を語る男とその母親に詐欺に引っ掛かりそうになった時の思い出。
厳しい営業所長に厳しい人の味方と決別を教えてもらった。
とても世話になっていた先輩の自死の話。
よほどの悔しさのなか、孤独を強いられて自分の首を自分で締めて先に逝ってしまった先輩の怖くて悲しい話。
私の過失ではないのに京都地方裁判所の被告席に立たされた、ため息の出るような怖い経験。
人の気持ちは分からない。そんな思いを噛みしめた怖い話。
なんとなく、まだ口に出来ないことがいくつかある。
人が怖いのは間違いない。それは社内、社外問わない。
京都営業所、営業での赴任初日はいきなり会議に引っ張り出された。
三十代半ば、営業課長の名刺を渡され、着工前の高級マンションの地元対応の責任者を会議の席で言い渡された。
河原町四条、京都の中で一番の繁華街まで徒歩五分に建設されたマンションの地元対応だった。
歴史ある街は常人には考えられないしきたりや風習がある。知られていない事実がある。
難航すると想像した有名な川沿いの小さな店々土地の権利関係を法務局で調べると、驚くことにほとんどが京都市の土地であった。
行政の知人に尋ねると戦後の救済措置で貸した土地に居座り、既得権を行使する難しい人ばかりだと言った。
始める前から頭が痛くなりそうだったのだが、自治会長が「あんたらは建築基準法に則って仕事して市のルール通り地元にも対応してくれるからいい」と言って取りまとめに協力してくれた。
一軒、ビルのオーナーが気難しく、夜の九時に一人で説明に来いと自治会長経由で連絡があり出向いた。ビルの最上階の部屋は玄関から一般の住宅ではなかったエスニックな香の匂いが立ち込め、ピカピカの大理石張りの床や壁のどこかで見たことのある絵画やら、あたり一面金持ち色が全開した部屋であった。応接に通され酒まで出されたが「仕事中は口にしません」とウソを言って逃げ切った。
実は男色で有名なオーナー、営業所長には気を付けていって来いよと笑顔で送り出されていたのだが、玄関のカギを「カチッ」と閉められてから生まれて初めて貞操の危機を感じていたのである。
私の身は無事に同意書にハンコをもらえたので良かったが、心底怖さを感じていた。
まあ、普通はこれで目出度し目出度しと終わるところだが、最後の最後でつまずいた。
自治会長が取りまとめてくれ、私が一軒一軒取り決めた和解金が一軒の個人の縫製工場だけ高くなっていた。法外な金額になっていた。
アレっと思い自治会長に言うと「その金額にしろ」と急に口調が厳しくなった。
膝を詰めて話をすると、白状したが、苗字の違う女性の同居人だと言う。
最終的には発注者に理解してもらったものの、協力的だったのは自身のためだったのである。
聖人君子のような方で、『全国自治会長協会』なんてものがあればそこで表彰されてもいいじゃないかと思っていたほどであったが、まあ、人間は自分さえよければいいのである、そんなことを思い知った衝撃的な『怖いと思ったこと』であった。
怖いと思った話はまだ続きます。