サイボーグが生きる町
海岸沿いの緑あふれる町で目を覚ました。
それはそれはすがすがしい朝だった。どこまでも続く砂浜にはこの季節にだけ優しい規則正しい波音が途切れることなく続く。シンイチは目を覚ました。でも、それが本当の目覚めではないことにすぐ気付いた。自身の意志で起きることの出来なくなったその身体を呪いながら目だけ覚まして現実を悟るのである。
今日は大阪からヒデキがやって来るのだ。嬉しいような面倒くさいような、シンイチにとってはただ一人の肉親であるヒデキと会うことにさして大きな意味は感じなくなっていた。子どもの頃には普通に身体も動き、身体能力では人に遅れをとることがあったが普通に読み書き考えることは出来ていた。しかし、それは中学に上がると変わった。母は必死に抵抗をしたが、校長の「責任を持てない」と言う一個人だけの判断で特殊学級って本当に特殊なクラスに入れられた。女の子に妙に優しい出来の悪い変な先生と3年間も付き合わなきゃならなかった。なんだか決まった箱に無理やり押し込められ、自身の可動能力や思考能力を押し殺されるような日々だった。それから半世紀以上が過ぎようとしている。そしてその日はやって来る。
永年の夢がかなう日がやってきた。サイボーグの身体を手に入れたいと子どもの頃から訴えてきたシンイチの望みがかなえられる日がやって来たのである。子どもの頃漫画で目にし、夢を大きく広げていた頃のシンイチの望みが実現されるのであった。
しかし、実際は少し違った。実はサイボーグの身体を手に入れるシンイチに残る感情はすべてAIの作り出すシンイチとヒデキの記憶をもとにして積み重ねた学習結果だったのである。シンイチと別個体のアンドロイドがそこで目を覚ますのである。眠る必要のないアンドロイドのシン・シンイチはシンイチの記憶にもとづいてベッドに9時間横になるだけなのであった。
シンイチの部屋からは地平線が見えた。その向こうは太平洋、そのまた向こうには昔憧れたアメリカ大陸がある。その憧れに続く地平線からの昇る朝日を眺める毎朝はシンイチには拷問にも近かった。
でもそんな時間からも解き放たれるのである。
シンイチはシン・シンイチにバトンタッチしたのである。
そして本当のシンイチは深い眠りについたのである。永かった、永すぎた人生を振り返りながら目覚めることのない眠りについたのである。
ヒデキを安心させるために全ての行為はヒデキに内緒で行なった。
そして、シンイチの行ったことはAIの作り出す虚しい虚しい虚構の満足の世界だったのである。
ヒデキはその頃JR豊橋駅に着いていた。いつも当たり前に見ていた豊橋鉄道が運行させるチンチン電車は全国的に見てもまあまあ珍しいものであることを知り、それからいつも豊橋駅から三河田原駅に通じるデッキからチンチン電車を眺めて時間調整をしていた。ほんの少しの自分の時間に浸りチンチン電車を眺めていた。
兄は元気にマイペースで生活していました。
親が心配することは無く、箱入り息子だった兄には逞しい適応力がありました。
10代で寿命は尽きるとその頃主治医は言っていました。
でも兄は私より長生きするかもしれません。
そのうち私は杖を突いて兄に会いに行くようになるかも知れません。
こんなに兄貴が長生きをしているのにはきっと私の知らない何かがあるに違いないとずっと思っています。