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朝、ポテサラサンドイッチを食って思ったこと

朝早くから料理をよくします。生きるために腹に入れるものを自分で作ります。こんな当たり前のことをずっと繰り返しています。こんな当たり前のことの出来る自分を幸せ者だと思っています。


暗い話は好きじゃなく、お涙頂戴も好きじゃない。
なのに、母、兄の事を考え出すと暗く辛い思い出ばかりが湧き出て来る。
「人の運とか不運とかを考えることはずっと前に止めてしまった」と、どこかの記事に書いたけれども、やっぱり残念ながらこの運、不運はこの世に存在する。

昨日の10時5分からNHK『dearにっぽん』をみた。
北海道帯広の noter である『NPO法人スマイルリング』の活動を長期取材したドキュメンタリーだった。
スマイルリングは児童養護施設と少年院出身の青年たちのサポートをする団体である。代表の堀田さんの人生も刑務所を経由されているとのことだ。行き場を失ってしまった若者たちの最後の砦としてスマイルリングが陣を張っている。堀田さんが自分がそうしてもらったように若者たちの話を聞いてやり、一緒にメシを食い、ともに汗を流して働き、生き直せることを教えていた。

特にそれ以上のことをここで私は書くつもりはない。私もNPOの理事として、非営利活動法人と言えども金が無ければ運営できないことはよく分かる、金は欲しいがここではもっと根本を知って欲しい。そういう人間がいるんだということを知って欲しい。苦しみながらも前を向き生きたい、家族とともに生きたい、家族を作ってみたいと思う若者がいることを知って欲しい。
我々が何も考えずに今までやって来た当たり前のことが自分の責任じゃないのに出来なかった、出来ない若者たちがいる。
人間だ、だから時には脱線する。
そんなことは大目に見たい。そんな人間も世の中にいることを当たり前と思って欲しい。薄っぺらの情報や間違った目で若い彼らの前向きな芽を摘んで欲しくないのである。

障害者も同じである。そう望んで生まれてきた障害者は一人もいない。「可哀そう」、そう思うなら代わってやれよ、私はそう言いたい。出来ない、絶対そうなることは無いと分かっているからそんな言葉が出るのである。普通に接してくれたらいいのである。私たちと同じ人間なんだから。

この note で記事を書くののむらさんは彼らの「お母さん」である。ののむらさんにそれまで経験の無かった母を感じる若者たちがいる。若者たちのために多くの時間と心を割くののむらさんには平伏する。そして、彼女と若者たちの間にも必ず「食」がある。食も彼らの凍った心を溶かす一つなのであろう。

どうもスマイルリングは優しいお父さんと素敵なお母さんのいる家のような場所のようである。


朝早くから料理をよくします。生きるために腹に入れるものを自分で作ります。こんな当たり前のことをずっと繰り返しています。こんな当たり前のことの出来る自分を幸せ者だと思っています。



北海道の男爵だとばかり思っていたが、産地を見れば長崎県だった。

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