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コーヒーの記憶 まずは1杯目☕
コーヒーがずっと好きであった。
中学3年の2学期までの約5年間、豊橋駅の駅裏、低層の住宅に商店が点在するのどかな住宅地に住んでいた。
そして、両親が豊川市のはずれに土地を求め家を建てて引っ越した。中学3年の3学期だけを名鉄線本線に乗って一駅の間を通学した。
豊橋駅といえども、駅裏の向こう側である正面口は、田舎らしい繁華街に面していた。だからか、私たち駅裏の中学生は保護者なしで校区も違う駅の向こうに出てはならないルールがあった。不良たちのたむろするエリアもあり、実際カツアゲされた仲間もいた。
私は中学の最後に転校するのは高校進学に影響があるだろうという先生方の判断で学校でただ一人電車通学のお墨付きをもらった。それを幸いに、バレればその時だと思い、毎日帰りは駅向こうの繁華街を胸を張ってウロウロしたのである。
広小路という田舎で一番賑やかな通りに精文館書店というそこそこ大きな書店がある。そこが私の息抜き場だった。なかなか個性的な書籍を揃えている。ちなみに精文館書店の前を通り過ぎ、少し行くと左手にたぶんタワーマンションの定義にはまらない高さの界隈で一番背の高いマンションがある。20年前くらいに出来ただろうか、そこには松平健のご両親が住まわれていると、豊橋に帰った時に同級生が教えてくれた。松平健は豊橋市出身なのである。今そのマンションに行くと毎夜マツケンサンバが最上階から聞こえてくると聞いたことは無い。
精文館で立ち読みし、金がないから繁華街をただウロウロして名鉄に乗って帰ったのである。
精文館の西側にあるアーケード、ときわ通りを時々抜けてその向こうにある小さな書店に行くこともあった。飲食店やさまざまな物販店が立ち並ぶなか、『ワルツ商会』というコーヒー屋がある。今は店内で飲食ができるようになっているが、喫茶店ではなく、喫茶店などにコーヒー豆や器具を売る店だったのである。ついでに一般客への豆の挽き売りもしていた。店の前を通ると今も昔と変わらぬコーヒー豆を焙煎するとてもいい匂いがする。ある日匂いに誘われて開いていたドアをくぐり抜けてみた。ガラスのショーケースの向こうに色の違う茶色のコーヒー豆が詰まっていた。
想像すれば「な~んだ」と分かるものの、初めての光景に見取れながら周りに置いてあった喫茶店で使ういろんな道具や器具を見たのである。
見ればどんな風に使うのか、たいてい想像つくものの、空っぽのサイホンの理屈が分からなかった。そして目にした価格の高さに驚いた。
匂いにつつまれるうちにコーヒーとはどんなに美味いものだろうかと想像の虜になってしまった。そして、そこに「初心者用」と書かれたペーパーフィルター式のオレンジ色のコーヒーメーカーを発見したのであった。
私が菓子箱に隠していた貯金で買える金額だった。深く考えることなく、次の日には4千円をポケットにねじ込んで帰りにワルツに寄っていた。コーヒー豆も買い、女性の店員が「豆は細かく挽くのよ」と教えてくれた。格安のコーヒーミルもふた月もしないうちに買っていた。
その日、一人で豆を挽いて説明書を読みながらコーヒーを淹れた。
美味かったのか、不味かったのかは憶えていない。たぶん雰囲気を飲んだのであろう。それからコーヒーを夜中に一人飲むのが習慣となった。夜中に一人でコーヒーを淹れ、煙草を吸いながら時間を過ごした。
それから何杯のコーヒーを口にしてきただろうか。
本当のコーヒーの美味さを知るのはまだまだ先のことである。
この頃はまだ酒の味は覚えず真面目にコーヒーに浸っていった。
尾張名古屋のコーヒー店に負けることなく、三河豊橋・豊川の喫茶店のモーニングは怖ろしい。
二日酔いで大阪始発の新幹線で父の入院先に行く前に酔い覚ましに豊橋の喫茶店でコーヒーを頼んだ。そしたら、モーニングが付いてきた。黙っていたらコーヒーの値段で11時半までモーニングタイムなのである。トーストとゆで卵は基本である。店によってバリエーションがある、店の信条や根性、店主の見栄や意地もあろう。サラダ、フルーツは当たり前、玉子は店によって目玉焼きやオムレツに変身し、なんだか知らぬが、ひじきの煮物や切り干し大根を出す店もあった。「これ、晩飯の残りじゃないの」って言いたくなってしまう。そして多くの店でヤクルトならぬ『ローリー』が付いていた。
なんだかんだ付いてきて、コーヒー一杯の値段で二日酔いの男を苦しめたのである。
いまだに豊橋・豊川の喫茶店ではこんな風習が引き継がれている。猛者のお母ちゃんは土日の11時20分に家族郎党引き連れて喫茶店になだれ込みブランチ代わりにモーニングを食い、お父ちゃんはただで「中日スポーツ」を黙って読んで帰る。
なかにはバイキングのモーニングなんてのもあった。メニューにご飯や味噌汁もあったから、時間を間違えて行くと何の店に入ったやら理解不能状態に陥ってしまうのである。
酒での思い出ほど多くはないが、コーヒーでの思い出は少なくない。
美味かったコーヒー、不味かったコーヒー、味の無いコーヒー、悲しいコーヒー、どれもが同じコーヒーなのである。これから時々コーヒーの思い出を綴っていきます。
どうぞよろしくお付き合いください。