阿倍野の飲み屋のものがたり その3 (ポテトサラダ編)
ガラガラと半開け状態のシャッターを開け切り、のれんを出すとすぐにのぞいてくれた女の子がいる。
「宮マス、三人いける?」と元気よく話しかけてくる。
いけるもなにも開店したばかり、客などまだ誰もいない。
「好きなところどこでもいいいよ」と言うとまだ残った仕込みをしている私の前に来る。
彼女は初めて来た時に私の名前を確認し「宮島さんがマスターだから、宮マスだわ~」と言い、それ以降ずっと彼女は私を『宮マス』と呼んでくれた。
そしてその『宮マス』は彼女と私の間でしか流行ることはなかった。
その日は彼女の友人と彼女の彼氏三人での飲み会だと説明してくれた。
私の息子と変わらぬ二十代後半だった彼女らは同じ高齢者介護施設で働く三人であった。
愛知のグループホームに預けていた母のこともあり、彼女らの話をそっと聞かせてもらうことがよくあった。
飲めば声は大きくなるし、心配になるほど酔っぱらうし、どこにでもいる二十代の若者だと思って話を聞いていたが、こと介護の話になると真剣だった。
ある時はおじいさんの話だった。
彼が言うには、かなり認知症の進んだその方は自身の排泄行為自体を理解できないほどまでになっていたそうである。
朝起きれば、壁中自分の排泄物を手で塗りたくり、部屋の模様替えが勝手に終わっていたり、ある朝などはおじいさんの髪の毛がキンキンの金髪になっていたと。
「お風呂に連れて行って頭洗いましたよ」と笑いながら言う。
「ゴム手袋してるから平気なんですよ」と笑いながら言う。
「でも、時々指先が破れてるの気付かない時あるんですよ」と笑いながら言うのであった。
その笑顔が頼もしい彼であった。
そして、二人は結婚した。
私の店で二人は将来を誓い合ったという。
しかし彼はその介護施設を辞めて介護資格取得の専門学校に就職した。
二人の給料を合わせても子どもの将来を考えるときついと彼は私に言った。
介護の世界の現実を知ったような気がした。
あって当たり前、無くては困る介護である。
誰もが歳をとり、誰にも頼らず生きていける保証などありはしない。
彼らの必要性の対価は将来の心配をすることなく子育てをすることも叶わないのであろうか。
彼は結婚してから時々彼女ではなく、施設で共に汗を流した後輩の男性を連れて来てくれた。
生ビールを片手にポテトサラダをつつきながら、「辞めたい」と言う後輩男性を説得しているのであった。
私は、おいおい、説得力が無いだろうと思いながらも黙って聞いていると、
仕事をすべて覚えてから辞めろと言っていた。
ああ、しっかりした子だな、こんな子たちが介護の世界にいてくれるのならば将来は明るいかも知れないな、と思ったのである。
介護は誰もが知るべきことで、当たり前の世界であっていいように思う。
そのために介護実習を義務教育のカリキュラムに組み込んだり、大学での必須の単位として置いたらいいようにも思う。
人手不足の解消に役立つようにも思う。
そして、店を閉める最後の日には花と店で撮りためたアルバムを持って来てくれた。
可愛いい女の子が生まれて合気道の道場まで連れて来てくれた。
『三人に幸あれ』と、ポテトサラダを食べるたびに思い出してそう願っている。