私の字が美しくない理由と文字から始まる私の考える流儀
子どもの頃から字を書くことが得意ではなかった。
文章を考えることは好きであったが、人様に読んでもらうために字を書くことに抵抗があった。
おおらかな母親のもとで育ったから、小学生時代に字を書くに当たって綺麗さを求められることなど無かった。
書き順すら覚えることは無く、いまだにこれはそのままである。
これには自分なりに原因となるものを突き止めている。
中学の兄の担当教諭である。今でもフルネームを憶えている。兄は中学で母の抵抗も虚しく『特殊学級』というとても特殊な名称のクラスに入れられた。てんかんの発作がその原因であった。
中学からは技術家庭の授業が始まり、扱う工作機械で怪我をしたら学校として責任を持てない、と当時の学校長が言ったそうである。もちろん母は「責任を押し付けたりしない」と言ったが無駄な抵抗だったのである。年子の私は一年後、兄と一緒に通学した。いつも兄の教室まで行き、兄貴を一人置いて来た。
担当教諭は男性で両親より少し年上だったと思う。習字が達者で、学校でもクラブでも教え、自宅でも習字教室をやっているという話だった。
そして、その教諭は平気で嘘をついた。二枚舌を使って兄を悪者にすることがあった。綺麗な字を書いてもそれが人間性と同じではない場合もあることをその時に思い知ったのである。母は泣き寝入りをしていた。当然私もその教諭が大嫌いになり、綺麗な字を書くことにまったく興味を失い、綺麗な字に嫌悪さえ覚えるようになっていた。
しかし、今になって綺麗な字を書く人を羨ましく思う。
字を書くことは今の世でさほど必要ではない行為なのかも知れないが、社会人になってから自分で自分の字をなんとかしようと多少の矯正を試みた。
今の周りからの評価は個性的だが、読み易い字だとのこと。
それでも目上の方、そのほか初めての方に手紙を認める際には、『親譲りの悪筆で、、、』と断りを入れるようにしている。読めればいいじゃないか、と思う時期もあった。ワードを使えばいいのだろうとも思ったが、手紙、葉書ばかりはどうもその気にはなれないのである。
もう長くB7サイズのノートを持ち歩いている。営業マン時代、ワイシャツのポケットにちょうどよかった。万年筆と一緒にいつも私の胸にあった。それは備忘録であり、考えるためであった。私の頭が古いからであろう。モノの考え方が今様ではないのだと思う。パソコンのモニターに向かっていても、私の場合そこに享受はあっても創造は無いのである。白地の紙の上に自身の美しくない字を置き、そこから考えがスタートする。あとは歩きながら、電車での移動中に、考えが独り歩きするのである。たぶん、スタートした後は見たり聞いたり触ったりと五感が考えを育ててくれるのだろう。
机に向かいジッとしたまま物を考えるのが得意でないのは性分もあるが、営業時代に身についたのだろうと思っている。
あとは案外一人で酒を飲んでいる時にいろんな事を思いつく。一人で酒を飲みながら寝るわけにはいかず、他にすることも無いわけで、手と口だけ動かしてぼんやり周りの動きを見ながらいろんなことを考えている。
「だから私は酒を飲む」と言うとそれは酒飲みの自己弁護でしょう、と誰かに言われてしまうだろうが、それが今まで続けてきた私の流儀なのである。