やってきた普通の日々
合気道の稽古の日。
コロナ禍に想定内の数の会員さんが休会し、想定外の会員さんが増えた。
皆さん身体を動かしたいのだろうし、これまで過ごしたことのない異常な日常から時には離れたいのだろう。
良識、常識を持ち合わせた方ばかりである。
いろいろ考えたが一人でもやりたいと言う人がいるならば、責任は私だ、と思って続けて来た。
家庭と職場や学校との往復ばかりでは息苦しかったに違いない。
道草、寄り道をして頭や心の整理をして帰ること、何をしているんだか分からない時間を過ごすことには意味があると思う。
子どもの数もさることながら、私の同年代が増えてきているのが嬉しい限りである。
50代、60代、70代の会員さんである。
ここで合気道を始めた方がほとんどである。
終焉に近づきつつあるこの年齢で、私は何か新しい事を見つけることが出来るであろうか。
会員さんたちの熱心な姿を見ていて羨ましく思う。
あと二十年くらいは身体が動いてくれたらいいなと思う。
稽古に来る人たちに合わせた年齢なりの合気道を伝えていければいいなと思う。
喪は明けてこれまで通りの稽古を続ける。
これまで通りの日常を繰り返す。
普通の日々を過ごすことの出来る有り難さを始めて知ったこの二年間だったかも知れない。
そして人に伝える責任も感じた二年間だったと思う。
皆さんの年齢で新しい事に挑戦するには勇気がいるだろう。
勇気を持って来てくれている皆さんに責任を感じる。
会員さんたちがいつまでも楽しく合気道を面白く思い稽古を続けてくれたらいいと思っている。
夕方の通天閣がいつもよりきれいに見えたのは気のせいなのか。
そろそろこんな場所でもろもろをリセットして、帰路につきたいものである。
ああ、普通の日、いつも変わらぬ、何も変わらぬ、普通の日がそこにはある。