阿倍野の飲み屋のものがたり その7 (マカロニサラダ編)
たくさんのお客さんを迎えることの出来た一年半であった。
老若男女、いろんな職業の方、たくさんの旧知とも再会することが出来た。
考えてみれば私はそれまで『待ちの仕事』をしたことが無かった。
営業は基本的に外に出て攻めなければならない。
定時に出社して定時に帰宅なんて無かった。
お客様を迎えるために毎日買い出し、仕込み、掃除と狭い店で昼前後からゴソゴソと、そして一人だけのカウンターで早い晩メシをかき込みお客さまを待った。
そんな時間が好きであった。
誰とも話をせず誰にも気を遣う必要もなく黙々と作業に集中した。
つくづく会社勤めは向かなかったと思う時間でもあった。
私の脱サラの話でお勤めを辞めてしまったお客さまもいた。
いつも旅行に行かれると必ず土産を持ってきてくれた。
ピアニストのお客さまは「宮さんに似た男を連れてきた」と、絵描きの酒飲みの男性を紹介してくれた。
その酒飲みの男性は仕事帰りにふらりと寄ってくれたお一人と息が合い、今では二人は時々飲みに出かける仲である。
そして、お二人とも今では我が合気道道場の会員でもある。
役所勤めの方も多かった。
『半径30メートルの男』を自称する世の治安を守る仕事をされている方、この方は高校時代からこのビルにあるバーに出入りしており、ほぼ毎晩このビルを中心に半径30メートル内で夜の生活をされているとのことであった。
お仲間をたくさん連れてきていただき、ずいぶん私の店も大事にしていただいた。
日替わりで必ずマカロニサラダかポテトサラダを置いていた。
一番に必ずそのどちらかを注文してくれた。
府の方も市の方も、そして、たくさんの教員の方にも足を運んでいただけた。
ゼネコン時代、設計事務所時代の仲間、発注者の方々。
中学、高校、大学の先輩、後輩、同期生。
東北から、九州までの各地から。
なんだか死期を悟った男が過去の付き合いを懐かしみ、貪るようであった。
そんな男に阿倍野の街は優しかった。
立ち飲み屋に恋する男の話はこれで終わったわけじゃない。
また折をみて、記憶の引き出しに手をかけたい。
私の『立ち飲み屋ラブ』は死ぬまで続くだろうから、、、
今回で私の『阿倍野の飲み屋のものがたり』は一度区切りをつけさせていただきます。
まだまだたくさんの思い出があり、個性的なお客様がいらっしゃいました。
全ての出来事と、全てのお客さまが今の私を作り上げてくれました。
全てに『感謝』ばかりです。
この先まだ続く私の『立ち飲み屋ラブ』を楽しみにしてください。
どうもありがとうございました。
失礼いたします。
当時90歳となった台湾の母、黄絢絢さんも甥御さんと来てくれた。
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