見出し画像

宵のノリ子のささやき

まずはお断りします。表題写真のキャベツは今回記事には関係ございません。愛知県田原市まで所用で行った際に、豊橋鉄道三河田原駅が用意してくれている無料のレンタサイクルで、少し足を伸ばし行った道の駅で見つけた地元特産のキャベツでございます。この地のキャベツは太平洋岸の優しい冬の陽射しを浴びてすくすくと育っているのでありました。大阪で最近見かけることの無い愛知産のキャベツ、しかも価格は大阪の半分ほどでした。まだ終わらぬ道中なので、一番小ぶりの一玉をバッグに詰め込み帰阪してまいりました。


それはまだ宵のうちだった。時々、たまった疲れからか、早い時間に私は眠りに誘われる。そんな時にたまにではあるが、宵のうちに夢の世界に引きずり込まれる。昨晩もそんな夜だった。

「ねえ、ねえ、起きてよ」
朝かと思い、目覚ましに目をやればまだ午後10時前だった。上半身を起こすが、そこにいる私は、私であって私ではなかった。たぶん枕元に誰かが立っていた。立って何かを言いかけていたのである。
「あんた、憶えてる?あんたの父さんと母さんたらさぁ、朝から喧嘩してたじゃないの」「やーね、憶えてないってぇ~、あんたの目の前での出来事だったじゃないの」
女らしきその声のする方向に振り向けばそこには誰もいなかった。
でも、誰かがいた気配は残っていた。

そして海の香りが残っていたような気がする。


長く私は忘れていたのである。
もうずいぶん前に分かれたノリ子のことを。けなげな奴だった。両親に慕われ、大事にされていた。
でも父と母のノリ子への優しさが違っていたのである。小学生の兄は食事がゆっくりだった。マイペースだったのである。共働きの母の朝は戦場だった。そして父もマイペースに新聞を読みながら朝飯を食っていた。それを母が良く思うはずがなかった。それでも母は黙って兄の食事が早く進むように炊きあがったばかりの白飯を醤油をつけたご飯で巻いて一つずつ兄の茶碗に積んでいったのである。

それを目にした父が一言、言わなくてもいい思いを口に出してしまった。
「逆だろ、海苔は醤油をつけた面をご飯側にするんじゃないの」
母の額辺りから「ブチン」と何かが切れる音が聞こえてきた。
「だったらあなた変わりなさいよ。朝から私一人で二人の面倒見て、出勤の仕度もしてるのよ」
ふんふん、母の言うことがもっともだと思いながら、私はたっぷり醤油をつけた海苔の面をご飯につけて巻いて食べていた。そんなくだらない事が喧嘩の原因になるのである。でも、短い幸せの時間のなかの喧嘩だったのではないかと思ってしまう。
思い返せば切なさが胸の奥からこみ上げてくるのである。

海苔は三河湾で養殖され、隣町まで行けば海苔の直売所があった。よく父について行った記憶がある。寒風に吹かれた斜めになったゴザに正方形の海苔は貼り付き、まばゆい陽の光に照らされて黒く反射していたのを憶えている。全型(タテ21cm×ヨコ19cm)の海苔が一束10枚、それを半分に曲げ折り、白い紙テープで括ってあるのをいつも何束も買ってきた。自宅用と、父の実家の長野県や母の実家の山形県に贈ったのである。山国の両家の親戚からはいつも喜ばれていた。
我が家に連れて帰った海苔は父がきれいにカットして菓子の空き缶にしまっていた。技術屋である父のカットは精確であった。黒の切りそろえられた海苔の裁断面はカット仕立ての女性のぬばたまの黒髪のようだといつも思ったのである。

そう、私の枕元に立ったのは海苔のノリ子だったのである。田原市でキャベツと「訳ありリンゴ」を買い込み、豊橋市内に戻り、乾物屋で久しぶりに海苔を買ってきたのである。晩に海苔を母の形見の裁ちばさみできれいに切って、缶に納めたのである。そして海苔を齧りながら一人、酒を飲み直したのである。「そんなこともあったなぁ」と、なんてことのないあの頃の日常を思い出していたのである。


※今回の記事は黒猫ボンの優しいお母さん、みけ*るーちぇさんから頂いたコメントで思い出した私の記憶です。一度過去にも書いているんですが、最後までお読みいただきありがとうございました。


いいなと思ったら応援しよう!