御堂筋のマリオットと大阪の夜
大阪御堂筋にマリオットホテルオープンとニュースで聴く。
安藤忠雄が監修というのがなんとも大阪らしいが、この時期に高級ホテルの開業は多難を感じる。しかし、聞いているとそうでもない。
富裕層とビジネス客をつかめる見込みを持っているようである。
日本の格差社会をここ大阪でも感じさせてくれる。
ゼネコンの営業駆け出し時代、もう30年ちかく前になる。
当時勤務していたのは大阪京橋にあるJR、京阪とも駅から徒歩5分の自社ビルであった。
京阪京橋駅近接に京阪電鉄の経営するホテルがあり、そこの稼働率が常時97%だということを聞いた。
大阪をまだよく知らなかった私にはその異常な高さに驚いた。
でも、先輩の説明を聞いて腑に落ちた。
立地なのである。
大阪の方ならご存じなのだろうが、京橋は駅周辺に安い飲み屋が集積するサラリーマンにとっては楽しい天国のような場所なのである。
当時の出張時の旅費精算は宿泊費を領収書無しで定額を支払っていた会社が多かったようだ。
私も東京出張時にはたしか8,000円もらっていた。
思い出せばいつも友人の部屋に転がり込みそれを飲み代に使っていた。
そのホテルの利用客はほとんどがサラリーマン、大阪市内の目的地であればどこでも至近距離の京橋は便利でいい。
まずはホテルで荷をおろし、ネクタイなどははずして身軽になって出張旅費の差額で生まれるであろう軍資金を手に京橋の街に繰り出すのだ。
次の日の仕事に備え英気を養うために、京橋の歓楽街に吸い込まれていくのである。
京橋は金の無い私たち若いサラリーマンにも優しかった。
毎晩仕事が終わる時間も遅かったが、終電を気にしながら後輩を連れて飲みに行った。
奈良まで帰る私の終電は早かった。
11時を過ぎればタクシーとなってしまう。
まだその頃は真面目に電車に乗る努力をしていた。
チェーン店では無い、オッチャン、オバチャンのやってる安い居酒屋でまずは仕事の情報交換をし、上司の悪口を言い、と私たちのピッチは速く短時間ではあったが皆が深く、しかし心地よく酔っていった。
理不尽な上司のミッションにも従い、じわじわ押し寄せるノルマ達成の報告会議にも耐えることの出来たのはそんな時間があったからだと思っている。
京橋ばかりでなく、大阪の夜の街は優しい。
サラリーマンにばかりではない。
誰にでも優しい。
それが大阪だと思っている。
気がつけばその優しさにひたり、30年が過ぎていた。
あっという間だった。