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JR西日本 大阪環状線天満駅

大阪に流れ着いてもう35年にもなる。
ずっとやってきた営業という仕事柄、電車にはずいぶんお世話になった。
JR、私鉄、 地下鉄、関西一円で降りたことの無い駅は多分無い。
どの駅にも降りた。当然用があって降りたわけでその理由は仕事ばかりではなくプライベートもある。

いろんな思い出がある。
楽しかったこと、悲しかったこと、いろんな思い出がある。
そんな思い出をこれから時々、一駅ごとに綴っていこうと思う。

まずはJR大阪環状線、大阪駅の隣の『天満駅』、このJR天満でまず思い出すのはゼネコン時代の大阪営業所である。
駅前の一等地にあった某製薬会社のビルを買い取り、営業所としていた。
その時ずいぶん世話になった営業部長の古巣であった。打ち合わせがあり、よく大阪支店から連れて行かれた。

午前中に行けば昼飯を食い、午後に行けば帰りに一杯飲ませてもらって帰った。
この天満には日本一長い天神橋筋商店街がある。南北に2.6キロ、大阪天満宮の門前町として栄えてきた商店街で、大阪三大市場の一つの天満青物市場も近くにあったことから、庶民の盛り場として大阪きっての賑わいを見せていたこともある。

大阪にはたいていの駅の近くに商店街がある。そんな商店街で昼時ならば安くて美味い定食や蕎麦、夕方ならば居心地のよい飲み屋を探すのが楽しみでもあった。

天満駅の北側には安い寿司屋と安い飲み屋が林立している。その多くは美味しく良心的な店である。
私の立ち飲み人生でのデビューはここ天満の立ち飲み屋である。この営業部長に連れて行ってもらった。もう20年も通ったと部長は言っていた。「俺に合わせて飲め」と言われ、冷酒二杯と冷奴を一気飲みに近いスピードであった。「こんな店で長居はしてやってはいかん、迷惑をかける」そんな気遣いをする営業部長だった。

この営業部長である。貧乏な新米営業マンの私と昼メシを一緒にする時、いつも千円札を渡し、「釣りは要らん」とお釣りの数百円を寄付してくれたのは。
私はそれを貯めて本を買った。
この営業部長はもと建築屋さん、若い頃に関門海峡のトンネル現場にいて、食べる物もろくに無いような時代、その時の所長が街で買って来た岩波文庫を若い社員たちで回し読みをし、部長も貪るように読んだと聞かせてくれた。
真面目な営業部長であった。私に営業の『いろは』を丁寧に教えてくれた営業部長であった。
この当時の企業戦士であった営業部長は退職後六十代で他界された。
この頃でも早すぎる死であった。


いろんな経験をしたこの天満にはまだまだ思い出はあります。
またの機会に続けさせてもらいます。
この営業所は後年、大きな背の高いマンションになりました。
まだ景気の悪くなる手前ということもありましたが『即日完売』でした。
購入者の多くは北新地の水商売関係の方だったそうです。毎晩の帰りのタクシー代でローン返済が出来たからだそうです。デベロッパーの想定外の事実だったそうです。
そこに住んでるクラブのママに聞いた話ですから間違いないですよ。

梅田あたりから夜風に吹かれて歩いて帰るちょうど良い距離にあるのがこの天満駅なのです。



天神橋筋商店街にある寿司屋「春駒」 安い!美味い!の良心的なお店です


私はこんなさっぱりしたのが好きです、安上がりな男です

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