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『ヒメジョオン』で思いだす

私は花の名前などほとんど知らぬ無粋な男の範疇に分類される人間です。
しかし、この時期田舎道を歩くと道端の名も知らない草花には心躍らせたり、安らぎを感じたりすることがあります。

生き物は好きなんですね。人間以外の動物も植物も、共にいて息苦しさを感じることはなく、互いに空気のようにいながら思いを伝えあえる、そんな存在が好きです。

昨日『きんさん』の記事を拝見していて、いつものきれいな花々の写真と若干趣の違う『路傍の花』、そこには紫陽花もヒメジョオンもありました。
そして、懐かしくいろんなことを思い出していました。

このnoteにやって来たばかりの昨年の春の記事の焼き直しです。
既読の方にも再読いただければ幸いです。

ヒメジョオンはぼたんのような花

背の低い子どもの頃は誰もが地面が友達だ。
歩く道のどこの道端にどんな草が生え、名も知らぬがどこの花にハナムグリが潜り込んでいて、どこの角で同級生のタケちゃんが10円玉を拾ったのかをみんな知っていた。
タケちゃんは10円玉を拾う名人だった。
勉強が出来るわけではなく、足が早いわけでもないタケちゃんはそんな時だけヒーローだった。
今思えばタケちゃんはクラスで一番背が低かった。
地面に一番近かった。

母と兄と三人で歩く時には母が花の名前を教えてくれた。

『ヒメジョオン』 『姫女苑』(ご存じない方、きんさんの写真かウィキペディアでどうぞ)

小学生の私には漢字など浮かぶわけはなく、カタカナの『ヒメジョオン』だった。
いつも目にしていた小さな花がそんな名前で意外だった。
小学校から一人帰る道、タケちゃんのように私もヒーローとしてもて囃されたくて、重いランドセルを背負って目を皿のように丸くしていつもの道を歩いて帰った。
そして、タケちゃんが最近10円玉を見つけた角の手前で私は光る『ヒメジョオン』の花の頭を見つけたのである。
それは手に取ると花ではなく、ボタンであった。
『ヒメジョオン』に似せたように真ん中の金色に縁どられた丸は黄色、その金色の外周の丸は白色のロゼットのような高級そうなボタンだった。
私はボタンをポケットに突っ込み走って家まで帰った。
そしてまだ母が帰ってこないうちに母の木製の裁縫箱の小引出しに放り込んだのだ。
その引き出しはボタン入れであった。
母がいつからその裁縫箱を使っていたのか聞いたことは無かったがたくさんのいろんなボタンが収まっていた。
子供ながらに男が手を触れるものではないと思っていた。
でも母の裁縫箱が好きであった。
特にこのボタン入れをときどき覗くのが好きであった。
いつかは見つかってしまい母に叱られるのではないかと思ったのだが、その日が訪れることはなかった。
そして今、母の形見となったその裁縫箱は私の手元にある。
この魔法の裁縫箱は私の記憶再生装置でもある。
引き出しの『ヒメジョオン』はいつでも若くはつらつとした母を思い出させてくれる。

母は他界し、あらためてこの引き出しを眺めるが、あの頃のきらびやかさは無い。
地味なボタン入れであった。
もちろん、あの時の『ヒメジョオン』も。
私の子どもの頃の幻想だったのかも知れない。

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