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先週末のこと
現在持つスマートホンの電話番号は20年以上使っている。
ゼネコンを辞めてしばらくして、営業時代に付き合っていた発注者からの電話があまりにもしつこかったから変えたのである。その発注者が起こしたトラブルで京都地方裁判所の被告席に立たされたことがある。潤沢な資金力をお持ちではあったが、あまりの個性の強さに私もついて行くことができなかったのである。
今の時代、持ち歩く個人の背番号のようなこの携帯電話番号が変わってしまえば、それで多くの人と縁が切れてしまう。それから10年以上経って両親、兄の看病・介護、看取りが続き年賀状も辞めてしまったからさらに切れた縁は増えていった。ゼネコン時代からの付き合いは自然と希薄になってしまった。
そんななか、数少ない私の電話番号を知るゼネコン時代の先輩から電話があり、日曜日に合気道の稽古を終えた後に京橋で会って久しぶりに酒をご馳走になったのである。
宇治からわざわざ出て来てくれた先輩は「不義理をしていてすまん」と言う。ゼネコン時代にまだ事務をやっていて、右も左も分からないなかを、手取り足取り仕事を教えてもらった。不義理は私の言葉なのである。当時の思い出話、当時の仲間たちの今の消息など「へ~」と言う話が多かった。私は先輩の奥さんも知っている。「宮島さんとならばゆっくりしておいで」と見送られたと言う。ともに頭は白くなりながらも、何も変わらぬお互いを確認して京阪京橋の改札で先輩を見送った。会社が傾いてしまった時にいち早く辞めてしまった私を心配してくれていたようであった。特に多くのややこしい上司達に囲まれて疲弊しきった私の当時も心配してくれてたようであった。
久しぶりに心を休めることのできる時間であった。
会社に余裕が無ければ、社員の未来など考えることはできない。社会でも同じであろう。余裕もないなかで「子ども達のため」とか「次世代のために」とか言うが、たぶん体裁作りのうわべだけの嘘っぱちである。私は嘘の無かった当時の会社で社会人の経験ができたことを良かったと思えるようになった。どんな時代になっても、本当に人の心配ができる人がいると何度か経験したからである。良き時代の、良き会社の時代には、心良き人間が多く集まり、人を育てた。そんななかで育った温かい心は簡単に廃れないようである。
現在とは違う良き時代に社会人のスタートを切って、育ててもらえたことに感謝する。今の若者たちに経験させてやりたい。若い時期に温められた心はいつまでも温かいままでいられる。
京都エリアのゼネコン時代の仲間たちの間では、再婚した宮島の相手は北新地で働いていたナンバーワンの女性だと噂されているという。そのことはあえて否定しないことにしておいた。
ああ、また飲み過ぎたと思いながら、天王寺駅に新しくできたチェーン店の立ち飲み屋に寄った。客はもう少なくまばらであった。私はハイボールを1杯だけ飲んで帰った。遅くまで働く若者たちの姿を見るのが好きである。
ああ、俺もあんな風に学生時代を過ごしたなと、秋の空気を感じ感傷に浸るのであった。