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田原市の空

もう10年もの時間が過ぎる。
兄の終の棲家となる障害者支援施設を私が決めた。
そんな日が来るとは知らずに子供の頃よく遊びに行った白い砂浜の続く太平洋が兄の近くにいつも待ってくれている。
でもそこに行くことはない。
兄に「僕は死ぬまでここにいるんだな」と言われ、兄と別れて大阪に帰る車の中でずっとハンドルを握って泣いた。
振り返ればそんな日が来ることは分かっていた。
でもそんなことは誰しも考えたくはなく、どうして私が手を下さなければならなかったのか、それだけは今も親を恨んでしまう。

愛知県三河地方の空は青い、年中いつも青い。
それだけでも私の救いなのである。
空の足元には風力発電のプロペラが地球の自転の駆動力のようにグルングルンと回っている。
私たちが子どもの頃には海だった場所を埋め立てた上でプロペラは回っている。
冬の風は強く寒かった。
魚釣りに明け暮れた日々、釣れても釣れなくても楽しい子どもだけの時間が流れていた。
夏は人のいない砂浜に一人いつまでも歩き続けたのを思い出す。

そんな思い出のある田原市に兄にいてもらうだけで私の救いになる。
思い出の詰まった海岸は、知らぬ間に埋め立てられてトヨタの工場がやって来て、そのほかにもたくさんの工場や貿易関連の施設がある。
地域は裕福となり、住み良い地域のランキングにも入って兄貴もその恩恵に預かっている。

何も心配をすることはないのだが、思い出すと心が揺れる。
まだ、コロナで面会は出来ないと言う。
施設内で感染者を出さぬように慎重である。

昨夜台湾の母、黄絢絢から電話があった。
コロナ感染のピークを迎えていると言う。
絢絢のいる大きな老人ホーム、部屋からの出入りも制限されているという。
食事が部屋まで運ばれて来る、温かな汁物を口に出来ないとこぼしていた。

でも、兄にも絢絢にもそのうち会えるであろう。

青い空を見上げて歩く、その瞬間だけは心も晴れる。
歩き慣れた道を兄のもとに向かい歩く日がもうすぐやって来ると思う。

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