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月下のもとで考えたこと
社会人となり、希望もしなかった大阪にやって来てもう40年になる。会社では北海道、九州の転勤希望を毎回出したが聞き入れられることは無かった。大阪京都の行ったり来たりで会社を辞めて、私の半生は作り上げられた。関西で私は多くの人に出会った。営業だから当たり前と言われたらそれまでなのだが、自身の性格でその付き合いはどれもがわりに深く、頼まれ事は断れず、いつも家族、自分の事は後回しだった。あまり賢くない生き方、仕事で割り切ることが出来ない生き方が私の性格なのである。
打ち合わせがあり、少し遅くなった夜に家に向かって歩きながらそんなことを考えていた。
タイミングと思い切りで違う人生の選択はいくつでもできたと思う。今ここで生きているのもその選択の一つである。自身の選択でやって来たことに後悔はしたくない。でも、「あの時に」なんてふと考えることは誰にでもあるのではないだろうか。
現在の自分の年齢を微妙な年齢だと思っている。「人生100年時代」なんて歌声だけは高らかに国は提唱するが、そんな受け皿を作る覚悟があってのことだったのであろうかと疑問を持つ。中途半端な自分の立ち位置を考えてしまう。
そして、高齢化とともに深刻な少子化が進む。この子等の未来も連動してすべてが回らなければならない。すべてを考え合せて今の日本の産業のバランスが崩れないように回そうと考えていたことなのかと疑問に思う。
荒廃放置竹林整備の現場事務所で打合せがあった。午前中は九州の面々と今後のイベントの話、午後からは旧国有鉄道の面々と春の観光の話であった。
私は横で聞きながら地元の年上のお姉さん方と料理教室のチーフとして筑前煮、煮豚、炊き込みご飯、豚汁を作っていた。地元婦人会で作る味噌は美味く、昔ながらの塩辛い梅干しは私の好みだった。
大人数で食う飯は美味い。途中みぞれ混じりの悪天候に変わったが、寒さでなお温かいものが美味かった。
地元のお姉さん方との付き合いは事務所の存続の潤滑油ともなり欠くことはできず、次世代の若者たちは一線で仕事の話をして自分を磨かなければならない。出過ぎず今なすべきことを遂げることが肝要だと思う。
流れに任せてなんでもやって来た。それはいまだに同じでこの先も同じなんだろうかと考えてしまった。さまざまなことをやり結果を知ることは、先を読めるようになる。そんな訓練は可能であれば誰にでもできればいいと思うが自分にそんな気持ちが無ければできることではない。
若い子等には終身雇用制の崩れた今、いろんな事をやってみるべきだと言いたい。すべては自身の力となり、何一つ無駄は無いと言ってやりたい。
日本というパイが人口減少によってすべて縮小されると想定されているならば心配はないが、企業は存続している限り縮小を目指すことはないであろう。再度老兵に号令をかけて戦場に向かわせ、精鋭部隊の援護射撃をする時期がやってくるのではないかと思う。
でも、一度眠ってしまった老兵は若い頃の気力を失っているかも知れないし、目覚めないかも知れない。
広く世を見渡し先を読む人間は多くはないと最近よく思うようになった。
帰りの夜道でそんなことを考えながら歩いていた。
でも、明るい月に自分の心を見透かされていたような気がしてならない。
月が知ってるように、私にはこれからまだまだやってみたいことや、やらねばならないことがたくさんあるのである。