ふとおもいだしたこと
学生時代、そして卒業してからも大変お世話になった合気道の市橋紀彦先生のことを帰宅して手を洗っていて思い出した。
今もその当時も合気道本部道場には日本全国、世界各国から多くの方が稽古に来ていた。
私たち学生は朝8時からの稽古を中心に日曜日以外ほぼ毎日通っていた。
東京では当時から、いや合気道の歴史の黎明期から各大学に本部道場の師範が派遣されていた。
たまたま私が在籍した武蔵大学合気道部の師範が市橋先生だった。
私たちが本部道場に通うことは、狭い枠の中での稽古に浸るのではなく、たくさんの先生、たくさんの方との稽古をすることを先生は望んでいたのだろう。
私たちが稽古に行けばいつも機嫌は良かった。
そして、稽古に行かなければ悪かった。
稽古が終わると道場の近くにある喫茶店でモーニングを食べながら先生と話をするのが日課のようだった。
市橋先生は稽古が終わると洗面所で石鹸をつけて手首まで丁寧に洗っていた。
いつもギリギリに起きて顔も洗わずに稽古に行っていた私にはとても新鮮に見えたので記憶に残っている。
いつもいろんな方の手を取り、手を握らせて指導をされていた。
海外まで出かけることも少なくなく、なおさら敏感だったんだと思う。
市橋先生ならばこの一年ほぼ休止状態で稽古を再開させた私のタイミングと、始めてからの稽古方法になんて言うだろうかと考えた。
『誰も判断してはくれない、お前が自信を持ってやれ、半年一年やらなくて錆びつくような合気道をお前はやってきたのか』と、言われるだろう。
ガンガンやって登っていくことを考える年齢ではなくなっている。
じっくり熟成させるいい機会をもらったと稽古らしい稽古はせずいた一年間を思う。
しかしこの先は自己判断の自己責任である。
すべての責任を負ってほぼプライベートレッスンに、近い希望者だけを相手に稽古を続けている。
この一年間、そしてまだ継続されるこれからの時間は誰もが経験しなかった貴重な時間なのかも知れない。
そう思い前向きに無駄のない時間を過ごしたい。
それがたとえどんな形であろうとも、二度とかえってくることの無い私の人生の一部なのだから。
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