師走の百貨店を歩く
クリスマスなんて柄じゃないんだが、そんな匂いに誘われて久しぶりに梅田の阪急百貨店に寄ってみた。
年内に兄貴の顔を見に行って今年を終わろうと思い大阪駅前ビルの地下のディスカウントチケット屋まで行った帰りである。
豊橋までの新幹線の安売りチケットを買い、地上に出ると年末ジャンボの臨時販売所が軒を並べてわさわさと人が群がって宝くじを買っていた。今年もやって来た師走を感じ、久しぶりに目の前にある阪急百貨店に寄ってみようかと思ったのである。
阪急百貨店、阪急うめだ本店、多くの人から建て替え前の百貨店を懐かしむ声を聞いた。関西の複数人の女性から、年に一度お母さまと宝塚歌劇で観劇をし、帰りに百貨店の大食堂で食事をしたのが懐かしいと聞いた。阪急創始者小林一三が草葉の陰で泣いて喜びそうな話である。
私は昭和60年に社会人となり、思わぬ大阪支店配属を命じられた。東京での4か月間の英語研修を終えて向かった大阪で、まず人と待ち合わせたのは阪急百貨店裏側の天井の高い広いコンコースだった。
隅っこに、いすゞ自動車のショールームがあり、そこでビッグホーンを目にしてこんなのに乗りたいなと思っていると大阪の友人はやって来た。
その頃から残るきらびやかなイルミネーションと時期で変わるウィンドウの装飾はひと昔前のその頃を彷彿させる。
阪急の子会社で働くようになりこのドームのように天井の高いコンコースがかつては阪急梅田駅のホームであったと聞き妙に納得したのを憶えている。そして離れた新しい駅ホームにお客様を歩かせるからと、現在ある「歩く歩道」を考え出したと聞いた。当時の現場に携わり、都市開発を行う先輩たちには夢もあれば喜ぶお客様たちの笑顔を想像することが出来たのでる。
しかし、形あるものはいずれその姿を失うのと同様で人の考え方、会社の質も変わっていく、これは致し方ないことなのであろう。
催事広場に臨時出店のどの店もクリスマスらしい装いに包まれていた。
円形階段式で底が舞台になっているイベントホールでは子ども達がクリスマスを先取るような衣装を着せられ音楽に合わせて踊っていた。どこもかしこもクリスマスであった。その中で私はガラス細工の小さなツリーを見つけしばらく見入っていた。
私は美しいもの、きれいなものが好きである。人間とは違いきれいな絵画や装飾品、宝石類はウソをつかない、おべんちゃらも言わない。ただそこにいるだけで美しいのである。人の本当の美しさもそんなものじゃないかと時々思う。一緒にいて気を遣わず、しゃべらなくとも気持ちが通じる。そんなことが、きれいなものが一方的に私に発信する美しさと同じだと思うのである。しゃべらない美しさが裏切ることのない美しさなんだと思う。
裏切らないものは味でもあり、店でもある。しかしながらこれもまた一様にはいかないようである。一代限りがいいのかも知れない。たとえ血の繋がる子であろうとも味は変わり、店の雰囲気は変わってしまう。美味い美味くない、良い良くないは個々の主観であろうからそれはそれでこだわる必要はないのかも知れない。次を探せばよいだけで、それは考えようによっては楽しみにもなるのである。
でも、会社組織はそれじゃよくはないだろうなあ、と思いつつ、40年前から通った焼鳥屋で焼鳥を食い、当時にはまだ見ることのなかったハイボールを一杯だけ飲んでまだ明るい梅田を後にした。
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