知恵の輪と母の形見とヒメジョオン
決してマザコンじゃないんだが、いまだに時々母のことを思い出す。物を持たぬ女だった。もう10年も近く前に父はC型肝炎から肝癌となり、母はアルツハイマー、そしてそんな両親のもとにいた兄は栄養失調から持病のてんかんが極度に悪化し、一家は崩壊してしまった。それまで大阪から通い、介護休職もしたが私一人で出来たことは限られていた。
父は他界し、母はグループホーム、兄には支援施設に行ってもらった。そして誰も住まなくなった家を私は一人、片付けた。デカい家にあるもののほとんどは父の物であった。長い海外暮しで集めたガラクタと定年後に優秀なモーター屋の技術を活かして半分趣味で持っていた作業小屋の機械工具類を捨てるために市の清掃工場に顔パスで入場させてもらえるまで通っても父の遺物は片付かなかった。
母の物は少なかった。少しの衣類、少しの着物、兄の成長を記録した大学ノートの束、編み物の道具と何度も使った毛糸くらい。父が買ってきた指輪やブローチはアルツハイマーになってますます進行した人の良さで誰かにやってしまったのだろう。ほとんど何も残っていなかった。でも母の裁縫箱から指輪を一つ見つけた。写真の指輪である。知恵の輪スタイルではずして気を許せばバラバラになってしまった。いつもそれを私に元に戻させたのである。大学からの帰省時にも、就職してからもばらけた指輪が待っていた。
裁縫箱にあったばらけた知恵の輪スタイルのこの指輪は母からの私への形見なのであろう。
昨日は大阪も冷たかった。子どもの頃のほうが今より寒かったように思う。愛知県豊川市の父の会社の社宅から母と買い物に行く時に社宅の裏のススキの原っぱを歩き抜けた。その時妙に寒さを感じた。でも春には緑の雑草が茂り、人の通る所だけ踏み固められて雑草は生えることは無かった。歩きながら母が花の名前を教えてくれた「ヒメジョオン」って響きが好きでずっと憶えていた。
指輪を見てそんなことを思い出していた。正月に帰ればそれなりににぎやかだった実家を懐かしく思い出していた。まだ春は先ではあるが、今年はどこかでヒメジョオンを見つけてみたい。そして、母に「憶えているよ、ヒメジョオンの名前、教えてくれてありがとう」って言ってやりたい。
過去記事に載せたものを少し書き直しています。
ご再読いただければ幸いです。
※写真の左側は少し難解な知恵の輪です。入所中の兄に渡す前に一度やってみようと思い手にかけたのですが、外すことは出来たのですが、もとに戻せず苦戦中です。